「子どもには “調和”より“創造”を尊重」本橋麻里・メダリスト&2児の母の想い

ロコ・ソラーレ代表・本橋麻里さんインタビュー「スポーツと育児の相乗効果」1/4 ~“好き”の芽生えと育て方編~

竹田 聡一郎

昨シーズン(2020年)からはスキップ(司令塔)としてプレー。次世代チームのロコ・ステラで北海道選手権決勝進出を果たした
写真/森清  『0から1をつくる 地元で見つけた、世界での勝ち方』(講談社現代新書)より引用

2006年トリノ五輪を皮切りに、2010年バンクーバー、2018年の平昌(ピョンチャン)と3度の五輪に出場。特に平昌では銅メダルを獲得するなど、日本のカーリングを牽引し続けてきた本橋麻里さん。「マリリン」の愛称で親しまれ、カーリング競技のアイコンのひとりでもあります。今(2021年)も現役選手である一方で、2児の母としても奮闘する日々です。

「幸せなことに、私は好きなものと出会って、それがその後の人生の軸になった」という自身のカーリングとの出会いから、母親となった今、好きなものを探している最中の息子へのアプローチで心がけているものを語ってくれました。

「このご時世ですからzoomなどでのインタビューも増えましたが、やっぱり人に会いたいですね。落ち着いたらたくさんの人と直接、話して刺激を受けたいです」(本橋麻里さん)
ZOOM取材にて

年齢や性別を超えたカーリングホールが世界を広げた

12歳でカーリングを本格的に始めるまで、2歳年上のお姉さんの影響で、英語やエレクトーンなどの習い事を経験してきたという本橋麻里さん。

「どれも好きで始めたのですが、座ったままのものは長続きしませんでした。小さい頃から外で遊んでばかりだったので、その延長戦上にある身体を動かすことが好きだったみたいです」

中学時代以降も続いたのはやはり陸上やカーリングという「身体を動かす」スポーツでした。
本橋さんの地元・常呂町(ところちょう)にカーリングをもたらした第一人者のひとりである常呂カーリング協会初代会長の小栗祐治さん(故)に出会い、まずは徹底的に“デリバリー”という、投石動作の基本を叩き込まれます。練習はどちらかといえば単調で地味なものが多かったと本橋さんは振り返ります。

「小栗さんは教え方というか、課題の出し方が抜群にうまかったですね。これができたら次はあれ。それも上手くなったら、あっちに挑戦しようという感じで、ある意味ゲームをクリアしていく感覚で上達できました」

その間、本橋さんのご両親は、練習や試合の送迎、遠征などの費用のサポートはしてくれましたが、競技について口出しするようなことはほとんどありませんでした。

「ロコ・ソラーレのメンバーは両親をはじめ、家族の影響でカーリングを始めています。でも私の両親はカーリングの経験がなかったこともあり、カーリングについて何か言われた記憶はほとんどありません。氷上は私とチームとコーチの時間なので、親には入ってきてほしくない気持ちもあったのかな。いま考えると生意気ですよね」

本橋さんはそう苦笑いを浮かべますが、カーリングホールに行けば、老若男女様々なカーラー(カーリング選手)がいて、年齢や性別、チームの垣根を超えたコミュニケーションを求められます。家庭や学校とは違った自立したグループで関係を築くことが新鮮で、さらに結果を出していけば、国内合宿や海外遠征など新しい扉が開かれていきます。その世界の広がりこそが、本橋さんが今もカーリングを続ける原動力のひとつだと言います。

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