【2014年国際アンデルセン賞作家賞受賞・累計200万部突破】自然や生き物に対する優しさと深い尊敬の念に満ちた壮大な長編ファンタジー! 決して人に馴れず、また馴らしてもいけない生き物とともに生きる宿命の少女・エリン。憎悪と呪い、孤独と悲しみのなかでやさしく凛々しく生きる孤高の魂の物語。
びょうびょうと風が吹く真っ暗な夜の崖の上に、ひとりの女が立っていて、一心に竪琴を奏でている。いったい誰にきかせているのか、目をこらしてみると、向かい側の崖の中腹に、いくつもの光が見える。――獣の目だ。大きな大きな獣が、あそこにうずくまって、竪琴の音を聞いているのだ……。
こんな光景がいきなり頭に浮かんできて、生まれたのが『獣の奏者』という物語でした。
決して人に馴れぬと考えられてきた巨大な獣と、心を通わせるすべを見つけてしまった娘の物語は、書き始めるや、あっという間に広がっていって、気がつくと上下二巻もの分厚い物語になっていました。
こんな分厚い物語を手にとってくださる読者がいるのだろうか、と不安に思っていたのですが、ありがたいことに出版されるや、多くの方々が手にとってくださって、いく度も重版を重ねて、今に至っています。
親本(ハードカバーの本)は、大人が手にとっても違和感がないように、漢字が多く、挿画もない形にしたのですが、今度、この本が、子どもたちにも、より親しみやすい「青い鳥文庫」の形でも出版されることになりました。その上、表紙と挿絵を描いてくださった武本糸会さんが、この物語をマンガにして、『月刊少年シリウス』で連載することにもなり、なんだか、一気に枝が伸び、青い葉が芽吹いていくのを見ているようで、わくわくしています。
もともと、ひとつの生々しい光景から生まれた物語ですから、味のある武本さんの筆でマンガとして描かれたら、きっと魅力的な作品になるに違いありません。
ひとつの物語から勢い良く芽吹いていく若葉たちが、この物語をどんな姿の大木にしてくれるか、見守っていただければうれしいです。
◆読み終わった途端、号泣してしまいました。とにかく震えと涙が止まりませんでした。(22歳・女性)
◆年齢・世代をとわず、いつの時代にも、すべての人に受け入れられ愛される本だと想います。ひとつの教訓書、未来の警戒書のような印象をうけました。(39歳・男性)
◆とても途中でおいておくことができなくて、一気に読んでしまいました。登場人物のみながそれぞれの生き方で幸せに生きてくれるよう、いのらずにはいられない、そんな想いでいっぱいです。(45歳・女性)
◆異なる世界の出来事を描いていながら、しっかりと社会制度、政治、経済のしくみがくみたてられているので、大人でも十分よめるものだと思います。また若い人たちには、社会のあり方とか、自分はどう生きたいのかを考えさせられる出発点に立たせるものだなあと思いました。(44歳・女性)
◆予想していなかった展開や、徐々にわかってくる秘密や過去にどきどきし、また緊張しました。(16歳・女性)
◆草の香りがし、湖の匂いがし、山々のつらなりが見え、学舎が想像できました。エリンの姿も。一気に読み終え、本当に本の中を旅していた感じがしました。自然の中の人間の小ささを考えさせられました。(43歳・女性)
◆小5の娘と一緒に親子で楽しんで読みました。読後も感想を言いあい、意見交換をしました。生きてゆく上での孤独、自立責任のありか、存在のしかたに強く胸をうたれました。(38歳・女性)
◆思慮深く、勇敢な少女・エリンの生き様は、なぜこんなにも私の胸の奥を揺さぶるのでしょうか。思考錯誤を繰り返しながら、王獣・リランを育てていく姿は、時にほほえましく、時に壮絶であり、この先に待ち受けている運命を想像しながら頁をめくる、手と心が震えるのを押さえられませんでした。(23歳・女性)
「ふしぎなロードマップ」
雪原を歩いて、歩いて、ふとふり返ると、自分が歩いてきた跡が、まるで意図して描いたかのような模様になっていて、びっくりする……そういう経験、ありませんか。私にとって今回の受賞は、そんな雪の上の模様をみたような、ふしぎな出来事でした。
一年程前に国内候補に決まったときは、まさか本当に受賞するなんて思ってもいませんでした。なにしろ、ムーミンを書いたトーベ・ヤンソンや、長靴下のピッピを書いたリンドグレーン……そんな私を育ててくれた作家たちが受賞してきた賞なのですから、なんというか、謙遜ではなくて、期待することすらおこがましい、という気もちだったのです。
それでも、「発表はイタリアのボローニャで。時差があるので、夜の十時から十一時の予定です」と告げられると、さすがに緊張してきました。
さらに、偶然、現地には、国際児童図書見本市に参加するために、『獣の奏者』の担当編集者だったNさんが行くことになっていて、明るい声で「私が現地からお知らせしますね」と言われたとき、かすかに、あれ? もしかしたら、ほんとに受賞しちゃうかも、という小さな予感が頭をかすめたのです。
なにしろ、このNさん、私が「シンクロの魔術師」と呼んでいる人。なぜか、彼女が関わると、様々なことがシンクロしていくのです。その彼女が十年ぶりにボローニャに行っているときに、こんな発表がある。もしかしたら、と思ってしまったのでした。
お陰で、興奮してしまい、夕飯はお握り半分しか食べられず、ドキドキしながら待つこと一時間。でも、まったく音沙汰なし。ああ、やっぱり、だめだったのか、誰が受賞したのだろうなぁ……と、ぼんやり思っていたとき、Nさんから、「おめでとうございます!」というメールが入ったのでした。
あわてて携帯に電話をすると、会場で上がっている歓声にかき消されそうな、「いま、お名前が呼ばれました!」というNさんの声。「え? ほんとに、私? 私?」と思わず叫んでしまいました。その瞬間から、怒涛の取材の波が押し寄せてきたのでした。
今回の審査員の中には日本人はいません。しかも、拙著はみな分厚い長編の物語です。それなのに、受賞理由を読むと、審査員の方々が、実に深く拙著を読みこんでおられることが感じられました。考えてみると、拙著は英語だけでなく、様々な言葉に訳されていますので、十人の審査員のほとんどが母語で読めたのですね。
日本の児童文学が、日本語の壁を越えて、海外に出て行くのは本当に難しいです。私の場合は、『精霊の守り人』と『獣の奏者』がアニメになって、世界を巡っていったことが、翻訳につながる、とても大きな力になりました。
受賞理由の、「自然や生き物に対する優しさと、深い尊敬の念に満ちている」という気もちは、祖母や両親が育んでくれたものですし、「多様な異なるレベルの関係性として世界をとらえている」ということには、文化人類学を学んできたことが関わっているのでしょう。
祖母の語りを聞いて育ったこと、児童文学を愛していたこと、文化人類学を学んでいたこと、アニメになったこと、翻訳されていったこと……そのどれかひとつが欠けても、多分、受賞には至らなかった。
いま、このとき、歩いてきた道をふり返ってみえてくるのは、多くの人々の優しい笑顔です。祖母、両親、弟、親友たち、先生方、相棒、オーストラリアはじめ世界中で出会った人々、翻訳者のキャシーさん、アニメーターさん、編集さん、画家さん、書店員さん、そして、読者の方々……。
昨年出版された『物語ること、生きること』を読んでみていただければ、ああ、本当にそうなのだな、と感じていただけると思いますが、いま雪の上に浮かび上がってみえているのは、私ひとりの足跡ではなく、手を差し伸べて、支えてくださった人々の足跡が交叉して出来上がったロードマップです。その巧まざる行程が、私をここまで連れて来てくれました。
みなさん、本当に、本当に、ありがとうございました!
