
ナイチンゲール 「看護」はここから始まった
文:村岡 花子 絵:丹地 陽子
19世紀半ばクリミア戦争の戦地病院に派遣されたナイチンゲールは、看護の力を示し、世間の看護の考え方を変え、後進を育てました。
発売日 | 2017/10/19 |
---|---|
価格 | 定価:814円(本体740円) |
ISBN-13 | 9784061499195 |
判型 | 新書 |
ページ数 | 194ページ |
1820年、フローレンス・ナイチンゲールは、イタリアのフィレンツェで、両親の旅行中に生まれました。家庭はイギリスの裕福な階層で、貧しい人々、病気で苦しむ人々に接するうち、看護の仕事へ興味を抱きます。クリミア戦争が起こると、ナイチンゲールは国からの要請で、現地のイギリス軍の病院で働くことに。 活躍は本国でも報道されました。その後、看護学校を設立、同時に職業としての地位向上にも尽力しました。
1820年、フローレンス・ナイチンゲールは、イタリアのフィレンツェで、両親の旅行中に生まれました。家庭はイギリスの裕福な階層で、夏と冬は郊外の別々の屋敷、春や秋は都会のロンドンに滞在するといった暮らしぶりでした。
ナイチンゲールは、上流階級の習慣として貧しい人々、病気で苦しむ人々にほどこしをすることはたびたびありましたが、それでは根本的な解決にはならないと感じていました。外国旅行の途中で病院を訪問したり、資料を取り寄せて勉強するなど、病人やけが人のケアについて興味を深めていくナイチンゲール。当時看護婦はいい階層の女性が就く仕事ではなかったため、家族にははげしく反対されます。
それでも、やがてクリミア戦争が起こると、ナイチンゲールは国からの要請で、訓練された看護婦チームを率い、現地のイギリス軍の病院で働くことになりました。 傷ついた兵士たちを全力で救うだけでなく、医師と看護婦の仕事のつながりをスムーズにしたり、病院の施設や衛生状況を改善するなど、看護の基本を作ったのです。病院や軍隊の衛生環境の改善を、時のビクトリア女王や、友人でもあった陸軍大臣に訴えたり、戦地での活動が報道されて社会から注目されました。
その後、看護学校をつくり 優秀な看護婦の養成に努め、同時に職業としての地位向上にも尽力しました。
*巻末に人物伝つき
*小学上級から
*すべての漢字にふりがなつき
はじめに 1 わたしは幸福ではない 2 ランプを持ったレディー 3 看護の母として ナイチンゲールの年表 解説 フローレンス・ナイチンゲール 川原由佳里 ナイチンゲールをめぐる歴史人物伝 ナイチンゲールの精神を受けついだ人たち