
「100分de名著」にも出演! 宮崎哲弥さんスペシャルインタビュー前編
『100 万回生きたねこ』と「『100万回生きたねこ』のナゾを解く」について (2/2) 1ページ目に戻る
2026.07.09
絵本を読むきっかけになったのはおーなり由子さん
『幸福な質問 New Edition』(おーなり由子 作/講談社)
──絵本というジャンルに興味をもったきっかけはあるのでしょうか?
宮崎さん:20代の半ばごろはおーなり由子さんのマンガが好きで、りぼん(マスコット)コミックスを大切に読んでいたのですが、やがて彼女は絵本作家に転じ、1997年に『幸福な質問』という傑作を上梓します。おーなりさんは、その「あとがき」で、次のように述べています。
「明日一日で、世界がなくなってしまうのだとしても、また、なくなってしまわないのだとしても──笑ったり、嬉しくなったりすることができる、たくましい泉のようなものを、いつも心に見ていることが、理想です」
この「たくましい泉のようなもの」は、『100万回生きたねこ』が最終的に到達する生死観にもちょっと通じる、とても重要な主題ですね。
『100万回生きたねこ』の初版は1977年ですが、その同じ年にささきまき(佐々木マキ)さんの『やっぱりおおかみ』(福音館書店)が出版されています。佐々木さんは、もともと村上春樹さんから高く評価されたアヴァンギャルドな作風のマンガ家でした。この人もやがて絵本作家に転じるのですが、その第1作が『やっぱりおおかみ』。黒いシルエットとして描かれる子おおかみが、仲間や友達を求めて街にさまよい出ます。うさぎ、やぎ、ぶたなどが種ごとに寄り合う巷を訪ね歩きますが、子おおかみを仲間として受け入れてくれるコミュニティはありません。皆、彼が近づくと離れていってしまうのです。そのたび、子おおかみは「け」と悪態を吐(つ)きますが、この「け」だけがマンガのフキダシで描かれます。
宮崎さん:20代の半ばごろはおーなり由子さんのマンガが好きで、りぼん(マスコット)コミックスを大切に読んでいたのですが、やがて彼女は絵本作家に転じ、1997年に『幸福な質問』という傑作を上梓します。おーなりさんは、その「あとがき」で、次のように述べています。
「明日一日で、世界がなくなってしまうのだとしても、また、なくなってしまわないのだとしても──笑ったり、嬉しくなったりすることができる、たくましい泉のようなものを、いつも心に見ていることが、理想です」
この「たくましい泉のようなもの」は、『100万回生きたねこ』が最終的に到達する生死観にもちょっと通じる、とても重要な主題ですね。
『100万回生きたねこ』の初版は1977年ですが、その同じ年にささきまき(佐々木マキ)さんの『やっぱりおおかみ』(福音館書店)が出版されています。佐々木さんは、もともと村上春樹さんから高く評価されたアヴァンギャルドな作風のマンガ家でした。この人もやがて絵本作家に転じるのですが、その第1作が『やっぱりおおかみ』。黒いシルエットとして描かれる子おおかみが、仲間や友達を求めて街にさまよい出ます。うさぎ、やぎ、ぶたなどが種ごとに寄り合う巷を訪ね歩きますが、子おおかみを仲間として受け入れてくれるコミュニティはありません。皆、彼が近づくと離れていってしまうのです。そのたび、子おおかみは「け」と悪態を吐(つ)きますが、この「け」だけがマンガのフキダシで描かれます。
『やっぱり おおかみ』(ささき まき 作・絵/福音館書店)
宮崎さん:絵本や童話というと、“みんな仲良し”“みんなでがんばる”といった話が多いけれど、『やっぱりおおかみ』は違う。“自分と似た仲間なんかいなくても平気”“みんな仲良しじゃなくても大丈夫”という断念、というか覚悟で終わるのです。そして子おおかみは覚悟を決めると「なんだかふしぎなゆかいなきもちになって」ゆきます。彼はクールな自由を得たのです。
この作品は『100万回生きたねこ』と同様、1977年の心象を反映しています。私の著作『『100万回生きたねこ』のナゾを解く』にも書きましたが、70年代の後半は時代の大きな変わり目で、このとき、日本人の人生の捉え方、物事の感じ方に重大な変化が生じたと思われます。とくに都市部において、自分の心身は他ならぬ自分自身のものであるという「自己所有」の考え方、感じ方が浸透し、それを基礎とする自由や自己決定の権利意識がこれまでになく広がったのです。
もはや「私」はクニのために生きているのでも、ムラ(共同体)のために生きているのでもない。よくわからないカミサマのためでもなく、イエやナカマのためですらない。「私」は「私」のために生きているし、生きるべきだという意識がね。
『100万回生きたねこ』や『やっぱりおおかみ』は人々の意識の変化、社会の変容を告知する作品であり、だからロングセラーとなったのだと思います。
この作品は『100万回生きたねこ』と同様、1977年の心象を反映しています。私の著作『『100万回生きたねこ』のナゾを解く』にも書きましたが、70年代の後半は時代の大きな変わり目で、このとき、日本人の人生の捉え方、物事の感じ方に重大な変化が生じたと思われます。とくに都市部において、自分の心身は他ならぬ自分自身のものであるという「自己所有」の考え方、感じ方が浸透し、それを基礎とする自由や自己決定の権利意識がこれまでになく広がったのです。
もはや「私」はクニのために生きているのでも、ムラ(共同体)のために生きているのでもない。よくわからないカミサマのためでもなく、イエやナカマのためですらない。「私」は「私」のために生きているし、生きるべきだという意識がね。
『100万回生きたねこ』や『やっぱりおおかみ』は人々の意識の変化、社会の変容を告知する作品であり、だからロングセラーとなったのだと思います。
絵本はひとつの文学作品であり、芸術作品
撮影/市谷明美
──日頃からたくさんの本に触れている宮崎さんにとって、絵本というジャンルにはどのような魅力がありますか?
宮崎さん:絵本をもっぱら子ども向きの書物と思ったことはありませんね。絵本は文学でもなくアートでもなく、かつ両方であり、両方でない。文学とアートを超えたところがある。そういう独自の分野なのです。
思いっきり抽象的だったり、象徴的だったり、観念的だったり、詩的であることが可能です。それは、テキストだけじゃなく絵があるから。マンガにも絵はありますが、多くの場合、やはり画像とストーリーとが密接していて、思い切った飛躍や省略が難しい。絵本は表現の自由度が高いのです。実際、現代アートをやっていた人が、絵本作家に転じる例がありますよね。
──最近読んだ中で、印象に残っている絵本はありますか?
宮崎さん:最近の作品で印象に残ったのは『『100万回生きたねこ』のナゾを解く』でも触れた、はせがわゆうじさんの『もうじきたべられるぼく』(中央公論新社)かなあ。これも『100万回生きたねこ』同様、主人公が死ぬ、あるいは確実に死ぬ運命にあるというのに、ラストで読む者の感動を呼び起こす絵本です。ただ、その感動の質が著しく異なる。『100万回生きたねこ』と異なり、時代の閉塞をとても強く感じさせるものになっています。
宮崎さん:絵本をもっぱら子ども向きの書物と思ったことはありませんね。絵本は文学でもなくアートでもなく、かつ両方であり、両方でない。文学とアートを超えたところがある。そういう独自の分野なのです。
思いっきり抽象的だったり、象徴的だったり、観念的だったり、詩的であることが可能です。それは、テキストだけじゃなく絵があるから。マンガにも絵はありますが、多くの場合、やはり画像とストーリーとが密接していて、思い切った飛躍や省略が難しい。絵本は表現の自由度が高いのです。実際、現代アートをやっていた人が、絵本作家に転じる例がありますよね。
──最近読んだ中で、印象に残っている絵本はありますか?
宮崎さん:最近の作品で印象に残ったのは『『100万回生きたねこ』のナゾを解く』でも触れた、はせがわゆうじさんの『もうじきたべられるぼく』(中央公論新社)かなあ。これも『100万回生きたねこ』同様、主人公が死ぬ、あるいは確実に死ぬ運命にあるというのに、ラストで読む者の感動を呼び起こす絵本です。ただ、その感動の質が著しく異なる。『100万回生きたねこ』と異なり、時代の閉塞をとても強く感じさせるものになっています。
『もうじきたべられるぼく』(はせがわゆうじ 作/中央公論社)
撮影/市谷明美
宮崎哲弥さんのインタビューは後編に続きます。
宮崎哲弥さんインタビュー後編はこちら。(公開日までリンク無効)
『『100万回生きたねこ』のナゾを解く ──とらねこはなぜ100万と1回目で死んだのか?』(宮崎哲弥 著/筑摩書房)


































宮崎 哲弥
1962年、福岡県久留米市生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、書籍、雑誌などで政治哲学、仏教思想、生命倫理、SF批評、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行っている。著書は『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』(新潮社)、『いまこそ「小松左京」を読み直す』(NHK出版新書)、『仏教論争 「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)など多数。共著に『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮社)などがある。2020年に第51回星雲賞(ノンフィクション部門)を受賞。 中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授を経て、相愛大学客員教授。
1962年、福岡県久留米市生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。テレビ、ラジオ、書籍、雑誌などで政治哲学、仏教思想、生命倫理、SF批評、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行っている。著書は『教養としての上級語彙 知的人生のための500語』(新潮社)、『いまこそ「小松左京」を読み直す』(NHK出版新書)、『仏教論争 「縁起」から本質を問う』(ちくま新書)など多数。共著に『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮社)などがある。2020年に第51回星雲賞(ノンフィクション部門)を受賞。 中央大学非常勤講師、京都産業大学客員教授を経て、相愛大学客員教授。