
【自閉症】の妹がいても「私だけ我慢している」と思わなかった理由 「きょうだい児」「家族の距離感」を作業療法士の姉が明かす
「きょうだい児」と家族のあり方【第1回】
2026.09.15
「自分は迷惑をかけられない」「良い子でいなければ」――。
障がい児支援や医療の現場において、「障がいのある子ども」だけでなく、その兄弟姉妹である「きょうだい児」が抱える葛藤や支援の必要性に注目が集まっています。
しかし、自身も自閉症・知的障がいの妹をもつ「きょうだい児」であり、現在は作業療法士(※)として働く城日菜子(じょう・ひなこ)さんは、「子ども時代に『自分だけが我慢している』と感じたことはなかった」と振り返ります。
支援学校の「新一年生」になる妹を見守る家族の温かいまなざしを描いた絵本『いもうとのにゅうがくしき』(文:福田 隆浩、絵:しんや ゆう子)のモデルにもなった城さん一家。
当事者として、そして支援のプロとして、城さんは「きょうだい児」と「その家族」のあり方をどのように捉えているのでしょうか。
この記事(第1回)では、城さんの幼少期の記憶や「作業療法士」という仕事を選んだ経緯について、続く第2回では絵本『いもうとのにゅうがくしき』に続き、新作童話『ふたりでおでかけ』を著した作家の福田隆浩さんとの対談をお届けします。

※作業療法士:身体や精神に障害のある方に対し、食事や入浴などの日常生活動作(ADL)や、手芸・工作・レクリエーションなどの「作業」を通じて心身の機能回復や社会復帰を支援する医療・リハビリテーションの専門職
「自分だけが我慢している」と感じたことはなかった
――社会の中で「ヤングケアラー」や「きょうだい児」の存在に光が当たり始めていますが、当事者としてご自身の幼少期を振り返ってどのように感じていますか?
城:私には自閉症・知的障がいのある妹がいますが、子どものころの私が「きょうだい児」として妹の存在に強く左右されたかというと、実はそこまで「自分だけ我慢させられている」と感じた記憶はないのです。
もちろん、妹の療育センターに同行したり、必要な場合はサポートしたりということはありましたが、私自身、負担とまで感じたことはなくて。
私は小学生からバスケットボールをしていたのですが、母が試合の応援に来るときは妹も一緒でした。部活動の友だちも、試合会場で妹がレジャーシートを広げていても、決して奇異な目でみることなく、「あ、素敵だね」や「おやつ食べてるの、いいね!」と自然に受け入れてくれていました。
今思うと、とても恵まれていたのですね。だから私も、「今日も来たんだな」くらいで、特別に思うこともなく……。お互いの予定について行ったり来たり、ごく普通の姉妹のような関係だったと思います。
――とても良い環境ですね。「きょうだい児」の方にお話を聞いていると、「障がいのあるきょうだいの予定に振り回されていた」という方もいらっしゃいますが、城さんのご家庭では、お母様が意図的にそうしたバランスを作られていたのでしょうか。
城:今思うと、そうだったのだと思います。当時の私はそんなことは思いもせず、部活に集中したり、自分の進路のことで悩んでいましたが、それができていたこと自体、私に余裕があったということですよね。
祖母がいてくれたことも大きかったかもしれませんが、おそらく母は早い段階から「妹は妹」「私は私」と分けて、姉妹それぞれに違う場所を用意してくれていたのだと思います。
妹のことはもちろん気になるし、助けが必要なときは手を貸していましたが、私は基本的に「自分自身のこと」に集中できていました。
母からの“重くない相談”
――お母さまはどんな方なのでしょうか。
城:シンプルに「楽しそうな人」だと思います(笑)。もちろん悩みはあったと思いますが。
私は今、作業療法士として障がいのある子を抱える親御さんたちにお会いしていますが、みなさんそれぞれ多くの悩みを抱えていらっしゃいますので……。それでも、子どものころの私は「母は悩んでいる」と感じたことはなくて。
▶︎NEXT 旅先で妹が大癇癪! 困った母が、城さんにかけた言葉は?






























