
田部井淳子の息子が語る母の映画への思い「息づかいや温もりまで感じる」
映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』公開記念インタビュー【後編】長男・進也さん (3/3) 1ページ目に戻る
2025.11.16
フリーライター:浜田 奈美
──お母さまの闘病生活に、ご家族で伴走されたそうですが。
そうですね。亡くなるまでの最後の1週間は、「寿命は1日単位で考えてくれ」と医者から言われていました。
終末期の緩和ケアの段階だったのでできることは多くありませんでしたが、母の体をふいたり水を飲ませてあげたり、家族として当たり前のことをしていました。
そういう状態なので、家に帰って寝ようとしても、「もしかして明日の朝には死んじゃうのかな」とか考えて、うまく眠れなかった。
明日なのか明後日なのか分からないけれど、母が亡くなってしまうと、二度と話すことができなくなってしまう。伝えておきたいことや聞いておかなくてはならないことが、いっぱいあるのにと。
そのことを明確に感じたのは、「富士登山」に来てくれた震災遺児や孤児の高校生たちと出会ったことが大きいです。彼らの話を聞いて、「自分には(母に)伝える時間がある。伝えなきゃもったいない」と思えたというか。
ある高校生は震災の朝、お父さんに「行ってきます」と言って別れたきり、お父さんが津波に飲まれて見つかっていない、と話していました。参加してくれる高校生には、そういう子たちがたくさんいます。
なので病室を訪ねた際には、できる限り母と話をしました。「どうしてエベレストに登ったの」とか、「頂上直下はどんな感じだったの」とか。
──亡くなる直前、淳子さんに「大好きだよ」と感謝を伝え、淳子さんも「お母さんも大好き」と答えてくださったそうですね。
そうです。僕は仕事場の福島県と関東圏の病院と行き来をしておりましたが、短い期間の余命となってから母のそばにいるようになりました。
──淳子さんの訃報の公表は、亡くなった翌々日の10月22日(2016年10月20日没)でした。その間に予定されていた淳子さんの講演で、進也さんが代理として登壇したと伺いました。
数年前から予定されていた講演でした。その年の7月の「富士登山」に行きましたが、それ以降に一気に体調が悪化するとは、誰も想像はしていなくて。医師から「1日単位で」と言われたため、父親が病床を離れるわけにはいかず、僕が母の代理をしました。
母親が読み上げる予定だった文面を残していたので、講演の冒頭にそれを読んだときが、一番辛かったですね。
母の「答え合わせ」ができた
──「エベレスト登頂50年」の今年、世界各地で「Junko Tabei」の偉業をたたえるいろいろなイベントが催されました。この映画もその一つですが、母・淳子さんの「スケール」が再認識された1年だったのでは?
何というか、「世界で初」と言われ続けてきたことの「答え合わせ」ができた感じです。
この映画を手掛けてくださった阪本監督に言われたんです。「山があるところには山が好きな人がいて、その山が好きな人たちは田部井淳子を知っている。世界中に田部井淳子を知っている人がいるね」って。今までそういう捉え方をしたことはありませんでした。
でも実際、映画の関係でスペインに行ったとき、8000m以上の全14座を無酸素登頂したことで知られるオーストリアの登山家のゲルリンデ・カルテンブルンナーさんが「女性の登山をリードしてくれたのが田部井淳子で、とても感謝している」と言ってくれました。
それからエベレストに登ったイギリスの女性の方々と話をしたときに、みんながうちの母親をリスペクトしてくれていた。世界中にエベレストに登った人々がいて、国ごとに「女性で初」の方々もいて、その方々はみんなうちの母親を知っていました。
「なるほど、そういうことなのか」と腑に落ちました。でもそれはそれとして、僕にとって「普通のお母さん」であることに、何ひとつ変わりはありません。
──お母さまがこの映画を観たら、どんな感想を口にすると思いますか。
誰に対して感想を述べているのかで変わると思います。なのでこれはあくまで、私に対しての感想ということでご回答させていただきますね。
「多くの人に感謝して生きなさい」
──最後に今一度、この映画に対する思いをお聞かせください。
このたび、制作会社の皆様、監督、出演者の皆様、そして制作に携わってくださった全てのスタッフの皆様に、心より感謝申し上げます。
どのシーンにも、母が元気だったころの姿が生き生きと鮮やかによみがえってきます。息づかいや温もりまで感じるようで、胸がいっぱいになり、深い感動で感情がこみ上げてきます。
私たち家族がこれほどまでに感動できるのは、皆様がそれだけ深い想いと愛情を込めて、この作品を制作してくださったからだと感じています。本当にありがとうございます。
母のこと、女子登攀(とうはん)クラブのこと、東北の高校生の富士登山のこと。私がどんなに話しても、私の言葉が届く範囲には限りがあります。それが、この映画を通して、私たちの想像以上に遥かに広い範囲の方々へ届くことができています。
50年前に女性だけでヒマラヤ、エベレストを目指した女性たちがいたこと、そして病と闘いながらも懸命に生きた人がいたことを、多くの方に知っていただけたら、これ以上の喜びはありません。
取材・文/浜田奈美
映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』(全国公開中)
登山家・田部井淳子さんの生涯を映画化。田部井さんを演じるのは吉永小百合と、のん(青年期)。今回の取材にこたえくれた夫・政伸さんを佐藤浩市と工藤阿須加(青年期)が、長男・進也さんを若葉竜也が演じる。
田部井淳子➡︎役名:多部純子 吉永小百合、のん(青年期)
夫・政伸➡︎役名:多部正明 佐藤浩市、工藤阿須加(青年期)
長男・進也➡︎役名:多部真太郎役 若葉竜也
監督:阪本順治 脚本:坂口理子 配給:キノフィルムズ
■公式WEBサイト:https://www.teppen-movie.jp/
©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
●「東北の高校生の富士登山」プロジェクト(一般社団法人田部井淳子基金主催)
田部井進也さんがプロジェクトリーダーを務める、東北の高校生と富士登山に挑むプロジェクト。福島県出身の田部井淳子さんが企画し、東日本大震災の翌年(2012年)からスタート。現在も全国からの寄付や支援を得て続いている。プロジェクトの詳細や寄付の宛先は一般社団法人田部井淳子基金の公式HPから。
・一般社団法人田部井淳子基金
https://junko-tabei.jp/
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浜田 奈美
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。
1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。