3世代同居で育った私
私は共働きの両親、そして祖父母がいる3世代同居の家庭で育ちました。 学校から帰宅すれば、常におじいちゃん・おばあちゃんがいる生活。 公務員で忙しい両親に代わり、家事のほとんどを祖母が担っていました。
祖母は優しい人でしたが、しつけには厳しく、性別や立場によって求められる振る舞いも細かく決められていました。 一方で、親には怒られそうな悩みも、祖父母がそっと受け止めてくれることもありました。
親以外の大人にも気にかけてもらい、時には叱られる。そんなふうに、親以外の大人も子どもに関わるのが、私にとってはごく自然な日常でした。
親子だけで育った夫
一方、核家族で育った夫の家には、私の実家のように祖父母がいつもいるわけではありませんでした。学校から帰って、家にいるのは母、あるいは誰もいないこともあり、日常をともにする大人は基本的に両親だけだったといいます。遠方に住む祖父母に会うのは年に1〜2回ほどで、祖父母との思い出はあまり多く残っていないそうです。
夫にとって、何かを注意されるのも頼るのも、相手は親だけでした。 家族といえば、まず父と母、そして子どもである自分。 夫にとっての家族とは、他者が入り込まない「親子水入らず」の場所だったのです。
“親”以外の大人が口を出すこと
そんな私たち夫婦も、結婚してしばらくすると、「家族」という言葉から思い浮かべる範囲が、根本的に違うのだと気づくようになりました。
誕生日やひなまつり、子どもの日、母の日、父の日など、行事のたびに家族が集まってお祝いするのは、私にとってごく自然なこと。
祖父母の誕生日にもプレゼントを贈る私を見て、夫が「じいちゃんばあちゃんの誕生日なんて知らない」とこぼしたとき、少し驚いたのを覚えています。私にとって祖父母は、行事や日々のやりとりの中に当たり前に存在する「家族」だったからです。
一方、結婚当初の夫は、私の実家へ行くたびにひどく疲れた様子を見せていました。原因は、当時健在だった80代の祖母でした。祖母は、夫の箸の持ち方を見て「お箸はこうやって持つんだよ」と言ったり、お酒の飲めない夫に「男は、お酒くらい飲めないと」と口を挟んだりしていたからです。
私にとっては、「またおばあちゃんが言っているな」くらいの出来事。けれど、親子だけの環境で育った夫にとっては、親以外の人から自分の振る舞いをあれこれ言われること自体が、経験のない出来事でした。私には受け流せる一言でも、夫の心には、私が想像する以上に強く、鋭く残っていたようでした。
同じ出来事でも、それを当たり前と感じるかどうかは、人によって違います。私たちのあいだにあったのは、まさに「家族とはこういうもの」という前提そのものの違いだったのだと思います。


































