「3世代同居」と「核家族」 私たち夫婦をギスギスさせていた「家族観」の違いの正体とは

(3/4) 1ページ目に戻る

頼ることは“お互いさま”か“迷惑”か

3世代同居で、ご近所付き合いも多い環境で育った私は、親以外の人に頼ることへの抵抗がありませんでした。両親が忙しいときは祖父母や親戚が支え、祖父母が年を重ねれば今度は両親や近所の人たちが支える。

わが家では、「支える側と支えられる側は、時とともに自然に入れ替わるもの」という感覚が、当たり前のものとして育まれていたのです 。

一方で、夫は「頼れる大人が親だけ」という環境で育ちました。助けてもらえる相手が少ないぶん、誰かに頼めばその負担は親だけに集中してしまいます。だからこそ夫は、誰かに頼ることを「相手に過度な負担(迷惑)をかけること」と受け止める傾向がありました。

大人になった今も、夫は「親孝行しなければ」「親に恩返ししたい」とよく口にします。義母の介護が必要になった際も、「俺が行かないと母さんが困る」と繰り返していました。私にとって助け合いは「お互いさま」で循環するものでしたが、夫にとっては「負担をかけた分、いつか返さなければならない借金」に近いものだったのかもしれません。

写真:Paylessimages/イメージマート
すべての画像を見る(全3枚)

お金の使い方にも、育った家族の違いがにじんでいた

家庭内のお金の使い方にも、環境の違いを感じる場面が多くありました。私の実家は親戚や近所付き合いが多く、冠婚葬祭も頻繁です。出産祝いや入学祝いなど、節目ごとにお祝いを頂く機会が多い反面、贈り物やお返し、集まりの食事代など、「交際費」としての支出も多い環境でした。

一方で、夫の実家では親戚付き合いに伴うお金の出入りはあまりありませんでした。その代わり、住宅購入の頭金や車の購入費など、人生の大きな節目に親からまとまった援助を受けることが自然な家庭だったのです。

そのため、私の実家関係の付き合いで家計からお金を出すとき、私はどこか「申し訳なさ」を感じていました。夫の実家では発生しない支出のために、家計を削っているような感覚に陥っていたからです。「何にお金を使うのが自然か」。その金銭感覚の根っこにも、やはり育った家族の形が表れていました。

「家族」という言葉にどういう意味を持たせるのか

新しい「当たり前」とは?
23 件