『赤毛のアン』モンゴメリ生誕150周年 村岡花子訳の魅力をあらためて考える
「いちご水」「輝く湖水」「ふくらんだ袖」でピンとくる「腹心の友」へ
2022.04.27
今回の改訂にあたり、「常に、花子訳の特徴が失われることがないように留意したつもりです」と語る、翻訳者であり村岡花子の孫にあたる村岡美枝さん。花子先生の書斎の展示がある東洋英和の史料室の貴重な資料をまじえながら、ご苦労されたところや花子訳の魅力について教えていただきました。
愛する娘や大切な友人への贈り物になるような、美しいハードカバーの村岡花子訳『赤毛のアン』があったら……と願っていたので、編集部からこの企画のお話をいただいた時、本当に嬉しく思いました。
また、初訳から約70年という長い年月の間に、私たちの生活様式も変わり、それに伴い使われる言葉も変化しました。若い読者にもわかりやすいように、言葉を補う、言いかえるなど、表現を見直す必要がありました。
その一部をご紹介したいと思います。
「腹心の友」「歓喜の白路」「輝く湖水」
<でも、あそこを、<並木道>なんて呼んじゃいけないわ。そんな名前には意味がないんですもの――ええと――<歓喜の白路>はどうかしら? 詩的で、とてもいい名前じゃない? 場所でも人でも名前が気に入らないときはいつでも、あたしは新しい名前を考えだして、それを使うのよ。」>(第2章「マシュウ・クスバートの驚き」より)*以下、引用はすべて2022年改訂版より
「腹心の友(kindred spirit/a bosom friend)」
「歓喜の白路(the White Way of Delight)」
「輝く湖水(the Lake of Shining Waters)」
「恋人の小径(Lover’s Lane)」……
こういった言葉は、今回もそのまま残しています。
花子の古風で詩的な言葉の感覚と、詩を愛するアンの豊かな言葉の泉とが響き合い生み出された訳語は、長い間、読者の方々に愛され、親しまれてきました。
親子3代にわたり共通の話題にすることができ、さまざまな『赤毛のアン』関連本にも引用されており、大切にしたいと考えております。
<「ほんとうに、メイフラワーなんてない国に住んでいる人がかわいそうだと思うわ。」(第20章「行きすぎた想像力」より)>
70年前の日本で、花子は、アンが抱くメイフラワーへの思いを想起できる「さんざし」を訳にあてたのだと思います。ですが、いまはネットで検索もできますね。
ちなみに、北米の「メイフラワー」は、棘のある灌木の「さんざし」ではなく、地を這うようにはえて、白やピンクの星形の花をつける別の植物で、プリンスエドワード島でも、いまでは貴重な花になっているそうです。
<「あの窓に置いてあるゼラニウムの花は、なんていう名前なの?」
「あれは、アップルゼラニウムというのさ。」
「あの、そういうんじゃなくて、おばさんがつけた名前よ。名前、つけないの? なら、あたしがつけてもよくって? あれに――ええと――ボニーがいいわ。あたしがここにいる間だけ、あれをボニーと呼んでいいこと?」>(第4章「グリン・ゲイブルスの朝」より)
ちょっとおもしろいところでは、「もしバラが、アザミとかキャベツなんていう名前だったら、あんなに素敵だと思われないわ。」と、アンが名前へのこだわりを語るシーンも、「キャベツ」は原文通りの「スカンク・キャベツ」に訂正しました。(スカンク・キャベツってわかりますか。和名ではザゼンソウというものです)
いっぽう、今回、花子訳を残しつつ、ほんの少し工夫をしてみたところもあります。
村岡花子訳「いちご水」の正体は……
<ダイアナは、コップになみなみとつぎ、その美しい赤い色を感心してながめてから、上品にすすった。「これは、すごくおいしいいちご水ね、アン。」(第16章「ティーパーティーの悲劇」より)>
たとえば「いちご水」。
この響きに、どれほどの多くの読者が心をときめかしたことでしょう。赤い綺麗な色の甘酸っぱい飲み物を容易に想像できます。
しかし、モンゴメリの原文は「ラズベリー・コーディアル(raspberry cordial)」なのです。今では「ラズベリー」も市場に出回るようになり、みなさんもよくご存じのことでしょう。コーディアルも手に入ります。でも、70年前の日本では、そうではありませんでした。
「きいちご水」「ラズベリー水」「ラズベリー・コーディアル」……いろいろな候補をあてて読んでみましたが、今回の改訂では、長年親しまれた「いちご水」を残しました。
実は「ラズベリー・コーディアル」のことなのだということもわかるように、今回の改訂版はほんの少し仕掛けをしました。気づいてくださったら、うれしいです。
<もし、この中のたったひとつだけでも、パフ・スリーブにしてくださったら、もっともっとありがたかったんだけれど。ふくらんだ袖は、いま、とてもはやっているんですもの。>(第11章「アン日曜学校へ行く」より)
こちらもほとんどの箇所で「ふくらんだ袖」を残しつつ、「パフ・スリーブ」という用語を利用したところもあります。
「つぎもの」という響きには、アンが針をうっかり指に刺したりしながら、悪戦苦闘している様子が目に浮かぶようでユーモアを感じます。世代の違いにより、同じ物でも、異なる名前で呼ぶことはよくあります。年配のマリラは「つぎもの」のまま、少女のアンには「パッチワーク」と語ってもらうことにしました。
同じように、「外套」は「コート」、「紫水晶」は「アメジスト」、「ふくらし粉」は「ベーキングパウダー」、「お茶道具」は「ティーセット」にしたほうが、現代の若い読者にはわかりやすいのかもしれません。けれどすべてを現代的なカタカナ表記に変えてしまうのはもったいない気がしました。
物語の舞台は100年前のカナダの東端、プリンスエドワード島です。人々は馬車で移動し、ランプの灯で本を読み、井戸水を汲み、食べるものも着るものもほとんどが手作りのスローな生活でした。古風な言葉の持つ素朴な雰囲気が、物語の時代性を表現しているように思います。
話し言葉は、『赤毛のアン』を読む楽しさのひとつ
<だけど、完全に幸福になるわけにはいかないの。なぜって言うと――ほら、これ、何色だと思って?」少女は、やせた肩にたれている、長い編みさげのひとつをねじって、マシュウの目の前にもっていった。(略)「赤じゃないかい?」彼は答えた。>(第2章「マシュウ・クスバートの驚き」より)
<「そうさな、なんといっても、ちっちゃいのだからな。」弱々しく、マシュウはくりかえした。「それに、大目に見てやらなくてはならないよ。あの子は、しつけというものを一度も受けてこなかったのだからな。」(第14章「アンの告白」より)
<ふくらますんでしょう、よござんす。ご心配にゃおよびませんですよ、マシュウ。最新流行の型に仕立てますからね。」と、リンド夫人はうけあった>(第25章「マシュウとふくらんだ袖」より)
上品な言葉づかいに憧れる、おませなアン。
世話好きでお人好しのリンド夫人の「よござんす」など、村岡花子訳の登場人物たちのセリフは、それぞれのキャラクターを際立たせることに成功しているように思えます。
味わいある話し言葉こそ、この物語の醍醐味であり、村岡花子訳の魅力ではないでしょうか。
今ではあまり耳にしない古風な表現もありますが、改訂版でもあえて残しています。
また、「グリン・ゲイブルス」「マシュウ・クスバート」「ジョシー・パイ」など、固有名詞は、原則として、村岡花子訳で定着している表記のままにしました。
*新訳などでは「グリーン・ゲイブルズ」「マシュー・カスバート」「ジョージー・パイ」などの表記が多いようです。
詩や古典の引用が多いのも『赤毛のアン』の魅力
今回、一連の作業を通じて、翻訳の難しさをあらためて感じました。
言葉の背景には、その国の人々の歴史や文化や生活があります。それを異なる歴史や文化を持つ国の言葉に移し替えなければなりません。
時代が隔たっていることもあります。異なる言語を持つ二つの国とその人々への深い理解と愛情が不可欠です。そしてその作業には完璧というものはないのかもしれません。
どんな状況でも、幾つになっても、アンの清らかで快活な魂に触れると、心洗われ、力を与えられます。1908年原作誕生から114年、世界中で読み継がれているという事実が、L.M.モンゴメリによるこの物語が名作であることの証しなのだと思います。
改訂版『赤毛のアン』が、村岡花子訳を長年読んでくださっている方々にも、初めてアンに出会う方々にも、大切にしていただける一冊となりますように、と願っております。
――村岡美枝
村岡 花子
(1893~1968) 山梨県甲府市生まれ。東洋英和女学校高等科卒業。1927年はじめての訳書『王子と乞食』(作:マーク・トウェイン)を出版。『赤毛のアン』(作:L.M.モンゴメリ)をはじめて日本に紹介した。2014年NHK朝ドラ『花子とアン』のヒロイン。訳書に、一連の「アン」シリーズ、「エミリー」三部作など多数。日本初の家庭図書館である道雄文庫ライブラリーを自宅に開館するなど、児童文学への貢献により藍綬褒章受章。(写真提供/村岡美枝・村岡恵理)
(1893~1968) 山梨県甲府市生まれ。東洋英和女学校高等科卒業。1927年はじめての訳書『王子と乞食』(作:マーク・トウェイン)を出版。『赤毛のアン』(作:L.M.モンゴメリ)をはじめて日本に紹介した。2014年NHK朝ドラ『花子とアン』のヒロイン。訳書に、一連の「アン」シリーズ、「エミリー」三部作など多数。日本初の家庭図書館である道雄文庫ライブラリーを自宅に開館するなど、児童文学への貢献により藍綬褒章受章。(写真提供/村岡美枝・村岡恵理)