その魅力の秘密を探るため、まずはオリジナルの『仮面ライダー』の現場に関わり続けてきた『仮面ライダー』主演の藤岡 弘、氏と、『仮面ライダー』などを現場で撮り続けてきた特撮スチルカメラマン暦55年の大島康嗣カメラマンの対談をお楽しみください。
初めての出会いは回転塔の前?
藤岡「『仮面ライダー』の制作当初は、僕も心のゆとりがなかった。“主演である”というプレッシャーを感じていましたよ」
大島「当時は、俳優さんと挨拶する余裕すらなかった」
藤岡「『仮面ライダー』に関わった人たち全員が試行錯誤していた状態だったと思います。“何も決まっていないのに、制作を進めている”という感じでした」
大島「藤岡ちゃんが撮影で着ていた衣装は、全部自前だったんだよね」
藤岡「衣装がやや小さくて、僕の体型には合わなかったんです。ですから、最終回まで本郷 猛の衣装は、僕の私物を使っていました。初めて生田スタジオにご挨拶に行くので、ダブルの背広で正装して行ったら、そのまま本郷の衣装にされてしまいました(笑)」
仮面ライダーのスーツは大変!
藤岡「最初はスーツがなじんでいなくて、苦労しました。窮屈で動けませんでしたね。汗をかくとスーツが肌にくっついて、突っ張るんです。マスクもアクションのたびに動いてしまい、バランスがうまくとれませんでした」
大島「私も会社から指示を受けているので、藤岡ちゃんにはかなり無理なお願いをしていました。あのときはほんとうにごめんなさい」
藤岡「殺陣師さんも厳しい人でした。しかし、とても“やれません”と言えるような雰囲気ではありません。それに、カメラや照明のスタッフの鋭い眼に射すくめられて。でもそういうプレッシャーのなかで仕事をしていたから、精神的にはかなり強くなり、鍛えられましたね」
大島「藤岡ちゃんも“プロの俳優”として、意地を張っていたの?」
藤岡「いいえ、意地とかじゃなくて、“今日中にこのシーンの撮影を終わらせなくてはいけない”“大勢のスタッフの期待に応えなければならない”という自分自身の責任感のようなもので気が張っていたように思います」
戦場を駆け抜けた2人のサムライ
藤岡「“リスクを背負いながら与えられた仕事を全力で行い、よい作品を制作し続ける”生田のスタッフに鍛えられ、“藤岡 弘、”という俳優も磨き上げられたと思いますよ」
大島「(大けがからの復帰後、)私も藤岡ちゃんのけがが完治していないことを知らなかったから、桜島で写真を撮ったときに無理を言ったと思います。痛かっただろうにごめんね」
藤岡「いいんですよ。大島さんも僕も必死に頑張ったのだから、結果的にいい写真が残ったんでしょう(笑)」
対談の全容はこちらで確認!
『講談社MOOK テレビマガジン特別編集 本郷 猛/仮面ライダー1号 増補改訂』(税込み定価2750円)には、他にも藤岡 弘、氏の映画『仮面ライダー1号』出演に際しての、貴重なインタビューも掲載しています。
また、石ノ森章太郎氏をはじめとするマンガ作品のなかでの本郷 猛=仮面ライダー1号、テレビマガジン誌上での歴史、作品の制作秘話など、特別企画も盛り沢山で、『仮面ライダー』とその後の作品に登場した本郷 猛=仮面ライダー1号を追跡しています。
テレビマガジン編集部
日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『テレビマガジン 公式動画チャンネル』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。 【SNS】 X(旧Twitter):@tele_maga Instagram:@tele_maga
日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『テレビマガジン 公式動画チャンネル』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。 【SNS】 X(旧Twitter):@tele_maga Instagram:@tele_maga