娘の顔だけに画鋲が刺されていた…「犯人がわからない」いじめに親はどう向き合うのか

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「いじめかどうか」にこだわりすぎた私の後悔

担任の先生も学年主任の先生も、画鋲の件について真剣に対応してくださいました。クラス全体への働きかけや、娘の様子をこまめに気にかけるなど、学校側も最善を尽くしてくれたのです。けれど、結局のところ、誰が画鋲を刺したのかはわからないままでした。

あのときの私は、「これはいじめなのか」「犯人は誰なのか」「娘にも何か原因があったのではないか」ということばかり考えていました。娘を守るには、まず事実をはっきりさせなければいけないと思っていたのです。

けれど、答えが出ないまま時間がたつうちに、娘は少しずつ別の子たちと過ごすようになり、表情もやわらいでいきました。

犯人も理由もわからないままでしたが、娘が少しずつ落ち着きを取り戻していく姿を見て、私はハッとしました。私が必死に求めていた「正解」は、娘が安心を取り戻すために一番必要なものではなかったのかもしれない、と。

当時はとにかく必死で、そこまで考える余裕がなかったのが本音。けれど今振り返ると、私が向き合うべきだったのは、原因探しよりも、娘がどれだけ怖く、つらく、心細かったのかという「気持ち」そのものだったのだと思います。

もちろん、事実を明らかにしようとすることは大切ですが、それに囚われすぎると、一番傷ついている子どもの心を置いてけぼりにしてしまうことがあるのだと痛感しました。

答えを求めていたのは、娘のためだけではなかった

子ども同士のトラブルに直面したとき、親はつい、「どちらが悪いのか」「わが子に落ち度はなかったのか」と、答えを探したくなるものだと思います。私自身もそうでした。

でも、あのとき私が優先していたのは、娘の気持ちよりも、「親である自分の不安や焦りを解消したい」という思いだったのかもしれません。

何があったのかを知って安心したい、娘に非はなかったと思いたい、親としての対応が間違っていないと証明したい……そんな気持ちが強くて、私は答えを急いでいました。

けれど、子どもが苦しんでいるとき、親がまず向き合うべきなのは、「事実」よりも「感情」です。子どもが「つらい」と感じているなら、事実がどうであれ、その気持ちを丸ごと受け止めていいはずです。

学校に対しても、犯人探しをお願いするのではなく、「この子が安心して学校に通えるようにサポートしてほしい」と伝えるべきでした。親がすぐにできるのは、出来事そのものを解決することではなく、子どもがこれ以上傷つかないよう守ることです。安心して過ごせる環境を整え、味方でいると伝え続けることこそ、子どもにとって一番の救いになるのだと今は確信しています。

文/構成・橘サチ

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