【不登校】小規模フリースクールのある1日「イエナプランやフレネ教育にも負けない教育があった」[教育ジャーナリストがルポ]

『フリースクールという選択』ハイライト版1/4〜小規模な個人商店型〜 教育ジャーナリストおおたとしまさ 全4回 (2/3) 1ページ目に戻る

教育ジャーナリスト:おおたとしまさ

小さなフリースクールは“与えてもらう教育”からの脱却

大手通信制高校系の看板を背負ったフリースクールが「ファミレス」のようなところだとすれば、小規模な独立型のフリースクールは「町の食堂」みたいなところです。いわば、大手チェーン系か個人商店型かという違いがあります。

小さなフリースクールは、運営者の考え方や人柄までもが場の雰囲気ににじみ出て、どこもとても個性的な表情です。世の中にふたつとして同じフリースクールなんてありません。

逆にいえば、ひとつやふたつのフリースクールを見てしっくりこなくても、「うちの子にフリースクールは無理なのかな?」なんて思わなくていいんです。必ず、しっくりくるところが見つかります。

一方で、年間をとおして子どもの数が増減するのがフリースクールの特性で、小さなフリースクールほど経営が不安定になりがちです。要するに資金繰りが大変だということです。

かかるお金の大半は人件費です。世間一般の小さなフリースクールの多くは、ほとんどボランティアのような善意で支えられているのが実状です。

だから、月謝以外の部分で保護者への負担もあるかもしれません。でも、保護者同士がチームとしてつながること自体にまず大きな意味があります。孤独ではなくなりますから。

さらに、保護者がフリースクールを支える立場になることは、単なるサービスの受け手ではなくなるということです。“与えてもらう教育”からの脱却を意味します。

そこに価値を見出せるなら、あえて小さなフリースクールという選択もいいのではないでしょうか。拙著では「個人商店型」のフリースクール6つの雰囲気を詳しくルポしています。

ここではその一部として、東京都日野市にある「フリースペースたけのこ」の様子を垣間見ることとしましょう。

古民家を舞台に子どもたちが自律学習

日野市を流れる浅川の河川敷からちょっと入ったところにある古民家を訪ねます。美しくて広大な森があるというわけではありませんが、かといって東京都とも思えないのどかな田園風景の中にあります。

浅川の土手から数分の場所に建つ古民家「フリースペースたけのこ」。このときは改修工事中だった。  撮影:おおたとしまさ
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朝9時、ぽつりぽつりと小学生がやってきました。スタッフと「おはよう」と軽く挨拶を交わした彼らは、誰に指図されるわけでもなく、自分に割り当てられた引き出しから「読み書き」「計算」の2種類のプリントを出してきて取り組みはじめました。

古民家の六畳間2部屋を使って、十数人の子どもたちが座卓を囲むようにして肩を寄せ合い、それぞれの課題に取り組みながら、ときどき楽しくおしゃべりしたり、教え合ったりしています。6年生のハスキーボイスな女の子が、目の前で漢字の練習をしている低学年の女の子にやさしく話しかけます。

「○○ちゃんさぁ、漢字覚えるの得意だから、自分の好きな食べ物の漢字とか、調べてみたら? 面白くない? 別に覚えなくていいから。あっ、じゃあ、『なかたのもりさんしこうえん』って書いてみれば?」

仲田の森蚕糸公園とは、たけのこを運営するNPOがやっているプレーパークの会場となっている公園です。たけのこの子どもたちも、金曜日はプレーパークで一日すごします。

仮にプリントをやらなくたって、誰も怒ったりしません。でも子どもたちはやります。「あー、やりたくないなー」とか「もういいでしょ?」みたいな言葉はいっさい聞かないし、つまらなそうな表情も見えません。

やらされ感がまったくない個別学習の時間です。子どもたち一人一人がまさに自分の課題に向き合っている顔をしています。

壁にはユニークなレポートが貼られていました。柿が腐っていく様子を観察したり、みかんの甘さを比べたりしたレポートです。「プリント教材みたいな勉強は、たけのこっぽくない」と訴えた子が「これが私にとっての勉強」と言ってつくっているシリーズだそうです。

個別学習の時間はよく自立学習とも呼ばれますが、これは“自律”学習です。たけのこではこの時間を“ねっこタイム”と呼んでいます。昭和なガラス戸越しに朝の光が差す古民家で、私はひたすら感動していました。

大人が意図を脇に置くと子どもの意欲が湧いてくる

学校に傷ついた子が来る場所だからという理由でフリースクールの「スクール」の名称は回避して、フリースペースを名乗りました。始めた当初はまったく勉強をする時間なんて設けていなかったといいます。そこから2年間は、ノー勉。

しかしあるときわが子が自分の名前すら書けなくなっているのを知った保護者から、「せめて名前くらいは書けるように……」と要望されて、「たまには鉛筆くらい持ってみよっか」てな感じで、大きく自分の名前を書いて、そこに色鉛筆で装飾を施したりという活動を始めてみました。鉛筆を使った遊びでした。

だけど、いつもは勉強なんてそっちのけのやんちゃ坊主のムードメーカーが高学年になったとき、中学進学を意識したのか「プリントやろっかな……」と言い出して、「じゃ、俺も……」「私も……」と自然に広がって、いまのような形に落ち着いたのだとか。

大人が勉強をやらせようという意図をすっかり脇に置いたあとに、子どもたちのなかから「やってみようかな?」という意欲が湧いてきたということです。

「子どもがやる気になるまで待ちましょう」とはよく言いますが、それは子ども個人に対する態度だけではなく、学びの場をつくるうえでも同じなのかもしれません。

名だたる教育法にも負けない教育が行われている!?

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