ヒーローを撮って55年! 特撮スチルカメラマン特別インタビュー!

『HERO  大島康嗣の仕事』特別動画配信中!

テレビマガジン編集部

1966年の『ウルトラQ』から2019年の『仮面ライダーゼロワン』までの55年間、特撮を中心に188作品を撮り続けてきたスチルカメラマン、大島康嗣の集大成ともいえる写真集、『HERO 大島康嗣の仕事』の発売を記念して、大島初のインタビュー! スペシャル動画が配信中です。

『週刊少年マガジン』での活躍から、『ウルトラマン』『仮面ライダー』などの現場などでシャッターを押し続けた歴史を、大島カメラマン自身が語る貴重なインタビューです。

そのなかから、大島ならではのエピソードの数々を少しだけご紹介していきましょう。
大島カメラマンのキャラクタースチルカメラマンの歴史はここから始まった。撮影現場ではなく、展示されている『ウルトラQ』のガラモン。  ©円谷プロ PHOTO/講談社

『週刊少年マガジン』のグラビアから始まった!

大島がキャラクターの写真を撮るようになったのは、『週刊少年マガジン』のグラビア記事を構成していた伝説の編集者、大伴昌司にその腕を見込まれたのがきっかけでした。

1970年前後の少年マガジンは、『巨人の星』『あしたのジョー』などのマンガと並んで、毎回、変化に富んだ特集を組んでいたグラビア記事が人気を博していました。その売り物が、大きな誌面での撮りおろしの写真だったのです。

大伴と大島がタッグを組んだグラビア記事は、「諏訪神社の手筒花火の設置から点火まで」「羽田空港のすべて」「蒸気機関車D51の解体」「ハイウェイ・パトロール」「蛇の飼育センター」など、多岐に渡るものでした。そして今でも語られるのが、「日本万国博覧会の竣工から解体まで」です。何度も大阪の万博会場に撮影に行き、記事も数回に分けて掲載される人気となりました。

そんなグラビア記事で目玉のひとつとなったのが、『ウルトラQ』特集でした。1966年に始まった『ウルトラQ』はたちまち大人気となり、『週刊少年マガジン』の巻頭を飾ることになったのです。

その好評を受けて、『ウルトラマン』では撮影現場に大島が立ち会い、撮影中の作品のスチルを撮影することになりました。現場でのスチルカメラマンとしてのスタートが切られたのです。
初めての撮影現場のウルトラ怪獣はアントラーだった(『ウルトラマン』第7話「バラージの青い石」)。  ©円谷プロ PHOTO/講談社

特撮の修羅場で大島に事件発生!

しかし、撮影を行っている円谷プロのスタッフにとっては、大島は突然現れた闖入者でしかありませんでした。初日の挨拶も兼ねてとスーツを着ていった大島は、「邪魔だから、ジャンパーでも着てこい」と叱られてしまいます。さらに新品のスーツも、飛んできた特撮の火花で穴が開いてしまう始末でした。

ですが、そんなことでめげる大島ではありません。持ち前の人間力と気配り、素晴らしい写真が『週刊少年マガジン』の表紙を飾るという実績、さらに他のグラビア記事撮影の合間を縫って現場に向かう粘り強さで、スタッフにも仲間として認められていきます。

『ウルトラマン』終了後には『ウルトラセブン』の撮影現場でもスチル撮影を行い、こうした「ウルトラマンシリーズ」の現場での撮影は、『ウルトラマンG』『ウルトラマンパワード』などの海外での制作作品を経て、『ウルトラマンコスモス』まで続くことになるのでした。
『仮面ライダー』の華麗なバイクアクション。『テレビマガジン』の創刊もあり、大島にはさまざまな写真の撮影が求められた。  ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

『仮面ライダー』用にカメラを改造!

そして1971年、『仮面ライダー』が始まります。『週刊少年マガジン』でマンガを連載していたこともあり、大島は初期から現場でスチル撮影をしています。しかし、その人気によっていわゆる「変身ブーム」が巻き起こり、多くの特撮ヒーロー作品が誕生、大島は1日に何作品もの現場に向かい、家にも帰れないほどに忙しくなります。

さらに過熱していく『仮面ライダー』のブームの中、大島に課せられた命題は「仮面ライダーの写真をたくさん撮ってくること」でした。とはいえデジカメが使える現代とは違い、現像するまでどんな写真が撮れたかわからない、写真のコピーには時間も費用もかかる、連続した場面の撮影も手動で押すシャッター次第という時代でした。

そこで大島が考え出したのは、映画用のフィルムを自分で暗室の中でスチルカメラ用に加工し、それまでは1回のフィルム交換で16枚しか撮れなかったのを、6倍の72枚まで撮れるようにすることでした。フィルムの現像所にも特製の現像タンクを作ってもらい、これによってフィルム交換の時間ロスをなくすことができたのです。
大島の名刺代わりともいえる1枚。『仮面ライダーV3』は特に爆破シーンが多く、大島の本領が発揮された作品だった。  ©石森プロ・東映 PHOTO/講談社

爆発のベストタイミングをキャッチ!

大島の撮影技術の中でも、誰もが認めるスゴ技として「爆発写真の美しさ」があります。「大爆発の前をジャンプする、ハリケーン号に乗った仮面ライダーV3」はその代表的なものですが、大島に言わせると、「ここまで爆煙のエッジが立った写真は、デジカメでは撮れない」のだそうです。

その決定的瞬間を撮影する秘訣は、大島が今回のインタビュー動画の中でじっくり語っています。今までは、現場のカメラマン仲間にもなかなかしゃべることのなかったまさに秘中の秘です。

さらに動画では、円谷英二監督との思い出、『ウルトラセブン』の神戸ロケでのエピソード、ロケ現場を探して、ロケ車の轍(わだち)の跡を追いかけた話、『仮面ライダー』の新サイクロン号を撮影しようとして起きた大事件などなど、本人の口からここでしか聞けない話が満載です。ぜひご視聴ください。
大島カメラマンとその愛機たち。お金はすべて新しいカメラに消えていってしまったとか。  PHOTO/講談社

スペシャル動画はこちら!

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『HERO 大島康嗣の仕事』定価:7480円(税込)
大島カメラマンの写真から厳選した1087点を収録。そのボリュームは320ページ、厚さ3センチ、重さ1.45キロ! 電子版も配信中。  ©️円谷プロ ©️石森プロ・テレビ朝日・ADK EM・東映 ©️石森プロ・東映 ©️東映・東映ビデオ・石森プロ ©️さいとう・たかを/さいとう・プロダクション/東映 ©️東映
おおしま やすじ

大島 康嗣

カメラマン

1942年埼玉県生まれ。1964年講談社写真部カメラマンとなり、『週刊少年マガジン』グラビア担当。1965年から2020年までじつに55年に渡って、特撮映像作品のスチールを撮り続ける。

1942年埼玉県生まれ。1964年講談社写真部カメラマンとなり、『週刊少年マガジン』グラビア担当。1965年から2020年までじつに55年に渡って、特撮映像作品のスチールを撮り続ける。

テレビマガジン編集部

日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 SNS:テレビマガジンX(旧Twitter) @tele_maga  SNS:テレビマガジンLINE@ @tvmg  記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『ボンボンアカデミー』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。

日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 SNS:テレビマガジンX(旧Twitter) @tele_maga  SNS:テレビマガジンLINE@ @tvmg  記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『ボンボンアカデミー』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。