『週刊少年マガジン』での活躍から、『ウルトラマン』『仮面ライダー』などの現場などでシャッターを押し続けた歴史を、大島カメラマン自身が語る貴重なインタビューです。
そのなかから、大島ならではのエピソードの数々を少しだけご紹介していきましょう。
『週刊少年マガジン』のグラビアから始まった!
1970年前後の少年マガジンは、『巨人の星』『あしたのジョー』などのマンガと並んで、毎回、変化に富んだ特集を組んでいたグラビア記事が人気を博していました。その売り物が、大きな誌面での撮りおろしの写真だったのです。
大伴と大島がタッグを組んだグラビア記事は、「諏訪神社の手筒花火の設置から点火まで」「羽田空港のすべて」「蒸気機関車D51の解体」「ハイウェイ・パトロール」「蛇の飼育センター」など、多岐に渡るものでした。そして今でも語られるのが、「日本万国博覧会の竣工から解体まで」です。何度も大阪の万博会場に撮影に行き、記事も数回に分けて掲載される人気となりました。
そんなグラビア記事で目玉のひとつとなったのが、『ウルトラQ』特集でした。1966年に始まった『ウルトラQ』はたちまち大人気となり、『週刊少年マガジン』の巻頭を飾ることになったのです。
その好評を受けて、『ウルトラマン』では撮影現場に大島が立ち会い、撮影中の作品のスチルを撮影することになりました。現場でのスチルカメラマンとしてのスタートが切られたのです。
特撮の修羅場で大島に事件発生!
ですが、そんなことでめげる大島ではありません。持ち前の人間力と気配り、素晴らしい写真が『週刊少年マガジン』の表紙を飾るという実績、さらに他のグラビア記事撮影の合間を縫って現場に向かう粘り強さで、スタッフにも仲間として認められていきます。
『ウルトラマン』終了後には『ウルトラセブン』の撮影現場でもスチル撮影を行い、こうした「ウルトラマンシリーズ」の現場での撮影は、『ウルトラマンG』『ウルトラマンパワード』などの海外での制作作品を経て、『ウルトラマンコスモス』まで続くことになるのでした。
『仮面ライダー』用にカメラを改造!
さらに過熱していく『仮面ライダー』のブームの中、大島に課せられた命題は「仮面ライダーの写真をたくさん撮ってくること」でした。とはいえデジカメが使える現代とは違い、現像するまでどんな写真が撮れたかわからない、写真のコピーには時間も費用もかかる、連続した場面の撮影も手動で押すシャッター次第という時代でした。
そこで大島が考え出したのは、映画用のフィルムを自分で暗室の中でスチルカメラ用に加工し、それまでは1回のフィルム交換で16枚しか撮れなかったのを、6倍の72枚まで撮れるようにすることでした。フィルムの現像所にも特製の現像タンクを作ってもらい、これによってフィルム交換の時間ロスをなくすことができたのです。
爆発のベストタイミングをキャッチ!
その決定的瞬間を撮影する秘訣は、大島が今回のインタビュー動画の中でじっくり語っています。今までは、現場のカメラマン仲間にもなかなかしゃべることのなかったまさに秘中の秘です。
さらに動画では、円谷英二監督との思い出、『ウルトラセブン』の神戸ロケでのエピソード、ロケ現場を探して、ロケ車の轍(わだち)の跡を追いかけた話、『仮面ライダー』の新サイクロン号を撮影しようとして起きた大事件などなど、本人の口からここでしか聞けない話が満載です。ぜひご視聴ください。
スペシャル動画はこちら!
テレビマガジン編集部
日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『テレビマガジン 公式動画チャンネル』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。 【SNS】 X(旧Twitter):@tele_maga Instagram:@tele_maga
日本初の児童向けテレビ情報誌。1971年11月創刊で、仮面ライダーとともに誕生しました。 記事情報と付録の詳細は、YouTubeの『テレビマガジン 公式動画チャンネル』で配信中。講談社発行の幼年・児童・少年・少女向け雑誌の中では、『なかよし』『たのしい幼稚園』『週刊少年マガジン』『別冊フレンド』に次いで歴史が長い雑誌です。 【SNS】 X(旧Twitter):@tele_maga Instagram:@tele_maga
大島 康嗣
1942年埼玉県生まれ。1964年講談社写真部カメラマンとなり、『週刊少年マガジン』グラビア担当。1965年から2020年までじつに55年に渡って、特撮映像作品のスチールを撮り続ける。
1942年埼玉県生まれ。1964年講談社写真部カメラマンとなり、『週刊少年マガジン』グラビア担当。1965年から2020年までじつに55年に渡って、特撮映像作品のスチールを撮り続ける。