ご自身も、兄弟で歌舞伎界で活躍されていますが、父であり大人気俳優であった中村勘三郎さんのもと、どのような幼少期を過ごされたのでしょうか。
有名一家には、どんな家族ルールがあるのでしょうか!?
父から繰り返し教えられたのは 「丁寧な言葉遣い」と「感謝の心を持つこと」
勘九郎さん:はい。僕はありがたいことに、本当に楽しい子ども時代を過ごしました。
幼稚園からの学友というのは、今もずっとお付き合いがありますし、彼らがいることによって、「六代目中村勘九郎」ではなく、本名の「波野雅行」に戻れる時間というのをずっと大切にできたように思います。
父(十八代目中村勘三郎)は、芝居のことに関しては本当に厳しかったのですが、それ以外のことに関しては自由というか、自主性ということを大切にしてくれていました。
ですから、歌舞伎やお芝居も決して「強制」ではなくて。「本当にやりたくなかったら、いつ辞めてもいいよ」というふうに言われていたんです。でも私はお芝居が好きでしたし、父のような役者になりたい、同じ役をやりたい、一緒の空間で芝居がしたいという気持ちが強くて……。
だからやっぱり、厳しさの中にも「楽しさ」を感じていたのだと思います。
いかに「喜んでもらえるか」を考える
勘九郎さん:これは直接芝居のことというより、人としてのあり方についてかもしれませんが、「礼儀と言葉遣い」ですね。特に目上の人に対する態度や言葉の選び方にはとても厳しく言われました。
それは先生や周りの大人など知っている方はもちろん、レストランやお店の方など、その日初めて出会う方たちに対しても同じです。
いつだったか幼いころ、高速道路の料金所で両親がお金を払った後、僕が親しみをこめて料金所のおじさんに「ありがとう〜!」と声をかけてしまったときがあったんです。そのときも、「目上の方には『ございます』をつけなさい!」と非常に怒られました。
また、どんな場所でもつねに「感謝の気持ち」を持つよう何度も言われましたので、今はそれを自分の子どもたちに伝えています。