ーー第2回目は勘九郎さんご自身が育った環境についてお伺いできますか。
勘九郎さん:はい。僕はありがたいことに、本当に楽しい子ども時代を過ごしました。
幼稚園からの学友というのは、今もずっとお付き合いがありますし、彼らがいることによって、「六代目中村勘九郎」ではなく、本名の「波野雅行」に戻れる時間というのをずっと大切にできたように思います。
父(十八代目中村勘三郎)は、芝居のことに関しては本当に厳しかったのですが、それ以外のことに関しては自由というか、自主性ということを大切にしてくれていました。
ですから、歌舞伎やお芝居も決して「強制」ではなくて。「本当にやりたくなかったら、いつ辞めてもいいよ」というふうに言われていたんです。でも私はお芝居が好きでしたし、父のような役者になりたい、同じ役をやりたい、一緒の空間で芝居がしたいという気持ちが強くて……。
だからやっぱり、厳しさの中にも「楽しさ」を感じていたのだと思います。