数年振りに見た娘の笑顔
そんな娘に、少しだけ外とつながるきっかけが訪れます。
当時、私は保育士として働いていました。娘が中学3年生の夏、勤務先の保育園で、園児と保護者向けの夏祭りイベントを行うことになり、職員の家族にも運営ボランティアとして参加できる人を募っていました。
その知らせを見たときに、ふと浮かんだのが娘の顔。同年代の集団はダメでも、自分より年下の子どもたちならどうだろう。娘に提案してみると、「嫌だ、絶対に行かない!」と即答でした。
それでも私は、「途中で帰りたくなったら帰っていいから、少しだけ手伝ってくれない?」と何度か声をかけました。すると娘は、渋々ながらも「……お母さんがいるなら」と言ってくれたのです。
当日、会場に向かう車の中で、娘はひどく緊張していました。青ざめているようにも見えます。これまでの数年間、家の中で過ごすことが多かった娘にとって、家族以外の人と長い時間過ごすのは久しぶりのことでした。
そんな娘の様子を見ながら、「ここまで来られただけでも十分」と私は自分に言い聞かせていました。もし会場に入れなかったとしても、それはそれでいい。そう思っていました。
けれど、なんとかイベントが行われる部屋に入り、2歳や3歳の子どもたちと遊ぶうちに、娘の表情が少しずつ変わっていきました。
「おねえちゃん、これしよ!」
「みて、できたよ!」
子どもたちの無邪気な声に応じるうちに、娘の口角が自然と上がっていくのがわかりました。娘の自然な笑顔を見たのは、もしかしたら数年ぶりだったかもしれません。そこにいたのは、私がよく知っている娘の笑顔でした。
私はその光景を少し離れた場所から見守りながら、胸が熱くなり、涙をこらえるのに必死でした。
「また来てね!」娘を変えたそのひと言
その日を境に、娘はときどき私が勤めている保育園のイベントを手伝うようになりました。 娘の姿を見つけると、「あ、おねえちゃんだ!」と駆け寄ってくる園児たち。帰り際には、「次はいつ来るの?」「また絶対に遊ぼうね!」と無邪気に声をかけてきます。
あとになって娘から聞いた話ですが、子どもたちのそんな言葉さえも、最初のうちは「社交辞令なのでは」と感じていたのだそう。
でも次第に、子どもたちは思ったことを口にするだけで、裏表はないということがわかっていったそうです。娘の心に長年こびりついていた“人を疑う癖”が、幼い子どもたちと関わる時間のなかで、少しずつ消えていったのかもしれません。
そして夏休みが終わるころ、娘が「保育系コースのある高校に行きたい」と言い出しました。もしかしたら高校進学は難しいかもしれない。そう思っていた私は、娘の言葉に驚きました。理由を尋ねると、保育園の行事で子どもたちと過ごしている時間は、不思議と安心できたからだと言います。
「子どもって、思ったことをそのまま言ってくれるからラクなんだ」
そう言って笑う娘を見て、私はようやく、娘の中に少しずつ前を向く力が戻ってきていると感じました。子どもたちと触れ合う時間は、娘が見失っていた「人を信じる感覚」を、もう一度取り戻していくための大切な時間だったのかもしれません。
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