
なぜ若者は「ホラー体験」に癒やされるのか? 『放課後死体クラブ(仮題)』が伝える「生きづらさ」を乗り越える知恵
話題の物語がついに書籍化! 講談社児童文学新人賞受賞 (2/2) 1ページ目に戻る
2026.10.28
怪奇幻想ライター:朝宮 運河
誰もが「隠された素顔」を持っている
物語の後半では二人の前に高い壁が立ちはだかるが、彼女たちはそれを死体クラブの部員らしいやり方で乗り越えてみせる。
二人の友情とホラー映画への愛が炸裂する、胸のすくようなクライマックスには思わず拍手を贈りたくなるが、本書がさらに素晴らしいのは、ホラーへの愛を深く描きつつ、自分と異なる価値観を受け入れ、尊重することの大切さにまで目を向けている点である。
ひよりがいうように、ホラー映画『13日の金曜日』の殺人鬼ジェイソンの仮面の下には、隠された素顔がある。それはひよりや由木だけではなく、クラスの誰もがそうなのだ。そのことをさりげなく伝える展開が、読む者の心を深く打つ。このレビューの冒頭で本書を「普遍的な力を備えた物語」と評したのはこのためだ。
ところでひよりと由木は、なぜここまでホラーに魅了されているのだろう。
ちょっと深入りして、その問題についても考えてみたい。
手がかりとなるのは「ホラーって、不思議と癒やされるんだよな。あたしにとっては、ファンタジーみたいなものなのかも」という由木の発言である。その意見にひよりも賛同しているが、ホラー映画が癒やしであるとは、どういう意味なのだろうか。
ホラーがもたらす「癒やし」の効果
そもそもホラーとは恐怖を描く物語のジャンルであり、その中では死や苦痛など日常生活では覆い隠されているものが、やや誇張された形で扱われている。こうした物語に触れることでわたしたちは、人は誰でも死ぬ運命にあること、現実はときに不条理で残酷であることなどを知る。
ホラーは安全なところに身を置きながら、世界の実像に触れられるジャンルなのである。その意味ではグリム童話などのお伽話にも似ているといえるだろう。
この世界で生きるすべての人は、恐怖や不安と無縁ではいられない。ホラーはその予行演習にもなってくれる。主人公に比べて自分はまだ大丈夫だと安堵したり、苦境に陥っている主人公に共感したりすることで、わたしたちは胸の中にわだかまっている影のような恐怖や不安とつき合うすべを身につけるのだ。

ホラーはあえてネガティブなメッセージを発することで、人生の厳しさや孤独に寄り添ってくれる、セラピーのような側面も持っている。
生きづらさを抱えるひよりと由木がホラー映画に親しみを覚えているのは、こうしたホラーの性質が関係しているのかもしれない。作中では語られていないのであくまで推測だが、無残に殺された死体役を演じることで恐怖や不安を飼い慣らし、辛い人生をやり過ごそうとしているのかもしれない。
だとしてもそれは決して後ろ向きの行為ではないだろう。むしろ自分らしく人生をサバイブするための知恵であり方法だ。その証拠にホラー映画に熱中する二人の内面は成長し、死体役の特訓は彼女たちを遠くへと連れていく。最終章において示されるひよりと由木の物語の着地点〔『放課後死体クラブ(仮題)』というタイトルの真意もここで明かされる〕には、同じホラー好きとして大きな拍手を贈りたくなった。
本書は『バッテリー』の著者・あさのあつこに絶賛され、すでにコミカライズも決定しているという。ホラー映画が題材だけにビジュアル表現との相性もよさそうだが、まずは作者のしなやかで誠実な筆致を楽しんでほしいという思いがある。愛すべきホラーな青春小説の誕生を祝福しつつ、本書が一人でも多くの人の手に届くことを望みたい。




































朝宮 運河
1977年北海道生まれ。得意分野であるホラーや怪談・幻想小説を中心に、本の情報誌「ダ・ヴィンチ」や怪談専門誌「怪と幽」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」などに書評・ブックガイドなどを執筆。小説家へのインタビューも多数こなしている。編纂アンソロジーに『家が呼ぶ 物件ホラー傑作選』(ちくま文庫)など。ホラー児童書『てのひら怪談 こっちへおいで』(ポプラ社)の編者も務める。
1977年北海道生まれ。得意分野であるホラーや怪談・幻想小説を中心に、本の情報誌「ダ・ヴィンチ」や怪談専門誌「怪と幽」、朝日新聞のブックサイト「好書好日」などに書評・ブックガイドなどを執筆。小説家へのインタビューも多数こなしている。編纂アンソロジーに『家が呼ぶ 物件ホラー傑作選』(ちくま文庫)など。ホラー児童書『てのひら怪談 こっちへおいで』(ポプラ社)の編者も務める。