「コミュニティ型こどもホスピス」が増え始めた 小児がん・心臓疾患・重い病でも「子どもらしく」いられる“特等席“の中身

「こどもホスピス」#1 ~成り立ちと施設について~

フリーライター:浜田 奈美

2024年から「うみとそらのおうち」で新たに始まった「ファミリーデイ」の様子。施設を利用する家族がさらに気軽に楽しめるように、その日の体調と気分で自由に過ごす。  写真提供:うみとそらのおうち
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イギリス発の「コミュニティ型」こどもホスピス

その起源は、1982年にイギリスで開設された「ヘレン・ハウス」と言われています。教会のシスターだったフランシス・ドミニカさんが、知人から重い病の2歳児「ヘレン」を預かった経験から、重い病の子どもとその家族には社会の中に居場所がないことを痛感し、彼らを支える医療機関以外の施設として、こどもホスピスを設立しました。

ヘレン・ハウスから欧米へと広がったこどもホスピスには、子どもが安心して過ごすために看護師や医療従事者が待機するほか、子どもの遊びや学びを支える専門家やボランティアたちが集まり、子どものやりたいことや挑戦したいことを叶えるために、寄り添います。そして子どもが旅立った後も、親やきょうだいなど家族の悲しみに寄り添うサポートも続けられます。

日本でこどもホスピスが誕生したのは、国の「第2期がん対策推進基本計画」の中で、重要課題として「小児緩和ケア」が位置付けられた2012年でした。この年、淀川キリスト教病院(大阪市淀川区)が小児専用の緩和ケア病棟「こどもホスピス」を院内に開設しました。

2016年には、東京都世田谷区の国立成育医療研究センターが、医療的ケアが必要な子どもと家族のための医療型短期入所施設「もみじの家」を、センターの敷地に併設する形で開設。そして同年、医療機関ではない「コミュニティ型」と呼ばれるこどもホスピスが、大阪市鶴見区に誕生しました。「TSURUMI(つるみ)こどもホスピス」です。

医療機関である前述の2施設と異なり、「TSURUMIこどもホスピス」は、子どもたちのレクリエーションやリラクゼーションに特化している施設です。医療制度にも福祉制度にも紐づいていないため、建設費も運営費も、企業や個人からの寄付で賄っています。

寄付を集めることは容易ではありませんが、制度に縛られていないため、運営の自由度は高いといえます。そのため「TSURUMI」のような「コミュニティ型」であれば、医療法人や医師でなくても「こどもホスピス」の設立を目指せます。全国に広がる「こどもホスピスプロジェクト」が目指しているのは、この「コミュニティ型」のほうです。

うみそらも「コミュニティ型」のホスピスとして、2021年11月に誕生しました。NPO法人の代表である田川さんは、もとは会社員であり、1998年2月に次女のはるかちゃんを小児がんで亡くした父親の立場から、プロジェクトを立ち上げた人物です。

次回は、会社員だった田川さんが横浜市にこどもホスピスを立ち上げるまでのストーリーをご紹介します。


取材・文/浜田奈美

フリーライター浜田奈美が、こどもホスピス「うみとそらのおうち」での物語を描いたノンフィクション。高橋源一郎氏推薦。『最後の花火 横浜こどもホスピス「うみそら」物語』(朝日新聞出版)
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はまだ なみ

浜田 奈美

Nami Hamada
フリーライター

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。

1969年、さいたま市出身。埼玉県立浦和第一女子高校を経て早稲田大学教育学部卒業ののち、1993年2月に朝日新聞に入社。 大阪運動部(現スポーツ部)を振り出しに、高知支局や大阪社会部、アエラ編集部、東京本社文化部などで記者として勤務。勤続30年を迎えた2023年3月に退社後、フリーライターとして活動。 2024年5月、国内では2例目となる“コミュニティー型”のこどもホスピス「うみとそらのおうち」(横浜市金沢区)に密着取材したノンフィクション『最後の花火』(朝日新聞出版)を刊行した。