見守られている安心のなかでの息子の変化
どう受け取られるだろうかと緊張していた私でしたが、先生は思った以上に快く受け止めてくださり、できることからすぐに実践へ移してくださいました。
国語や社会の授業では、息子が手を挙げていなくても、答えやすそうな場面で先生が意見を求めてくれるようになりました。みんなの前で発言できた息子を、先生はその場で褒めてくれました。
それが小さな自信になったのだと思います。翌日以降、息子は少しずつ自分から手を挙げるようになっていきました。さらに、「教室の中で授業を受けたい」と、自分から言い出したのです。
席替えでも配慮してもらいました。ホームルームでは、息子の席を廊下側のいちばん後ろにしてもらい、班のメンバーも息子に好意的な子を中心に組んでもらいました。そのおかげで、息子はグループワークにも参加しやすくなりました。
苦手な算数では、先生の目が届きやすい前のほうの席にしてもらいました。「わからない」と声に出せなくても、表情の変化に気づいてもらいやすくなったのです。
そうした積み重ねのなかで、困ったときに私ではなく、先生に助けを求めようとする息子の姿も少しずつ見られるようになりました。
ようやく見えてきた母子登校の終わり
夏休みが目前に迫り、母子登校を始めてまもなく3ヵ月が経とうとしていたころです。息子の変化を受けて、私も少しずつ、息子の隣から教室の外へ移動するようになりました。
学校から「息子さんが大丈夫そうなときは、お母さんは帰宅したり、空いている応接室で休憩したりしてくださいね」と提案があったのも、そのころです。
私は帰宅して仮眠を取ったり、別室で仕事をしたりしながら、少しずつ息子と距離を取れるようになっていきました。ただ、急にいなくなると息子が不安になるため、離れる前には必ず本人に伝えるようにしていました。
先生から「1学期末で母子登校を終え、2学期からは息子さんだけで通わせてみませんか?」と提案されたのは、それからほどなくしてのことです。
不安はありました。けれど私も、このまま付き添い続けるだけでは、息子が自分で学校に慣れる機会を奪ってしまうのかもしれないと思うようになっていました。
そして1学期の終わりとともに、母子登校はいったん区切りを迎えました。
夏休みを挟み、2学期が始まると、息子は少しずつ自分だけで学校へ向かえるようになっていました。
自分の気持ちを言葉で伝えるのが苦手な息子に対して、先生は意識して声をかけてくれていたようです。宿題の丸つけを頼んだり、配布物や掲示物の手伝いを任せてくれたりすることもあったといいます。
先生が息子を「助けが必要な子」としてだけではなく、「誰かを助けられる子」として見てくれたことを、息子はとてもうれしく感じているようでした。
クラスの中に「自分はいていいんだ」と思える居場所を作ってくれた担任の先生には、今でも感謝しています。
母子登校を振り返って
約3ヵ月におよぶ母子登校が、長かったのか短かったのかは、今でもわかりません。
母子登校には、子どもの学校での様子をそばで見守れるという面があります。一方で、子どもが学校で何に困っているのかを、親が目の前で見続けることにもなります。
周りの子が自然にできていることが、わが子には難しい。
友だちの輪に入りたいのに、うまく入れない。
わからないことがあっても、先生に助けを求められない。
そうした現実を毎日見続けるのは、思っていた以上につらいことでした。
それでも、母子登校の日々があったからこそ、私は息子の学校での姿をきちんと知ることができました。自宅では見えなかった困りごと、うまくいかない場面のパターン、友だち関係の難しさ。そばで見て、記録したからこそ、少しずつ整理できたのです。
とくに、ノートに書き留めたことは大きな助けになりました。感情のままに「つらい」「困っている」と伝えるのではなく、「いつ、どの場面で、何に困っているのか」を具体的に先生と共有することができたからです。
その共有があったからこそ、先生も息子への関わり方を調整してくださり、息子の再登校につながっていったのだと思います。
もちろん、母子登校が誰にとっても正解だとは思いません。仕事の都合や家庭の事情で、したくてもできない方もいるはずです。
ただ、形がどうであれ、子どものそばにいる大人が「この子が学校で過ごしやすくなるためには何が必要か」を具体的に学校へ伝えることには、大きな意味がある。
母子登校を経験した今、私はそう感じています。
文/構成・橘サチ
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