本上まなみ「『助けて』『できない』が言えない子どもだった」

【大人気連載復活】わたしが子どもだったころSeason2:Vol1.本上まなみさん (2/3) 1ページ目に戻る

ライター:山本 奈緒子

釣り、わらび穫り…、正直子どもには面白くなかった(笑)

私の両親はとにかくマイペースでした。父は仕事が忙しくてあまり家にいなかったんですけど、たまに時間があると、私たち姉妹をよく釣りに連れていってくれました。でも、釣りってほとんどの時間は竿を落として魚が食いつくのを待っているだけじゃないですか。父は、その釣れない時間こそが醍醐味だと思っていたようなんですけど、子どもには退屈でしかない。すぐに飽きて、妹とトランプを始めたりしていたのですが、父は楽しそうでしたね。

ただ、釣りのときはよくカップラーメンを買っていって、海を見ながら食べていたんです。普段、カップラーメンを食べさせてもらえることがなかったので、その時間だけは特別な感じがして大好きでした。

一方の母は、私たち姉妹を連れてあちこち遊びに行くのが好きな人でした。でもそれが、わらび穫りとかなんです。子どもにはまったく面白くない遊びですよね。「このかごいっぱいにわらびを穫ってきなさい」と、私たちは山の斜面に放たれて。ズリズリ滑りそうになりながら、必死でわらびを収穫したりしていましたね。

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今思うと、私の親は、自分が面白いと思うことを子どもたちにも体験してもらいたかったんでしょうね。実際に楽しかったかどうかは別として、そうやって親が楽しんでいる姿を見られたことは、今になってみるといい環境だったんじゃないかと思います。私は親の仕事内容はよく知らなかったんですけど、たまに親の仕事仲間がウチに来て、宴会を開いていたんです。大人たちはみんなお酒を飲んでガハガハ笑っていて。子ども心に、「大人でもこんなにだらしなくなるんだなあ」と思っていましたね(笑)。

それが嫌だったということは全くなくて。何というか、いい意味で大人の完璧すぎない姿を見せてもらっていたと思います。私の親はそんな感じでしたから、勉強も強いられたことがなくて。一応「やりなさい」とは言うんですけど、言うだけ。厳しく管理したりするようなところは一切ありませんでしたね。程よい放任主義だったので、今振り返ると、自主性を育ててもらえたんじゃないかと思います。

ずっと葛藤しながら続けていた芸能界のお仕事

芸能のお仕事を始めたのは高校1年生のときです。スカウトがきっかけだったのですが、そのときちょうど父親が一緒にいて。私は目立ちたいタイプの子ではなかったし、芸能界なんて意識したこともなかったんですけど、「面白い体験ができそうだしやってみれば?」と父のほうが勧めてきて。「じゃあ……」と始めてみたものの、慣れないことばかりで。ずっと「続くんだろうか?」「私はいつやめてしまうんだろうか?」と思っていたのが本当のところです。

ただ私は、人との出会いに恵まれていたと思います。そんなふうに何のスキルもない私に、モデル、俳優、トーク番組など、皆さん、途切れることなくお仕事を振ってくださって。本当に奇跡だと思っています。

その後、私は、大好きな文章を書くお仕事もさせていただくようになりました。これも、自分を表現するのが下手な私を見かねて、編集者の方が「本上さんは読書が好きだし、文章でなら表現できるんじゃない?」と、雑誌で連載する場を設けてくれたんです。その連載をまとめた、初めての自分の本が出版されたのが24歳のころ。それから四半世紀。その後も何冊もエッセイ本を出版させていただくことができて、今でも「なんで自分はこんなにラッキーなんだろう」という思いでいっぱいです。

「すみっコぐらし」ナレーションに込めた想い
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