子どもの「非認知能力」「体験格差」…行き過ぎた能力主義・学歴社会に踊らされないで! 親が持つべき視点とは?

学校の「当たり前」を考える 能力主義と子ども #4脱・能力主義社会に向けて (2/3) 1ページ目に戻る

子どもの「持ち味」の見つけ方

──勅使川原さんは、チームで仕事をするには学歴より各自が持つ「機能」や「持ち味」を把握し、生かし合うことが重要だとおっしゃっていました(前回)。そうなると、自分の「持ち味」を知っていたほうがいいと思いますが、子どもの「持ち味」を見つけるために保護者にできることはありますか。

勅使川原真衣氏(以下勅使川原):「持ち味」がない人は一人もいません。誰もが生まれたときから100%持っているものです。子どもだけではなく保護者も、それぞれ持ち味があると考えてください。

持ち味は、「刺激や状況に対する反応」。たとえば、5分待たされるとものすごくイライラしてしまう人もいれば、全然平気な人もいますよね。この違いが持ち味であり、生まれ持った特性です。

子どもの持ち味を見つけようと思ったら、子どもをよく観察することが重要です。こういうときは無性に怒るなとか、逆にめちゃくちゃ喜んでいるな、とか。

でも、観察する保護者の側に、「こんなことは思っちゃいけない」「こうあるべき」といった規範意識があると、子どもをありのままに見ることができません。

反応のあり方にいいも悪いもない、が大前提です。良し悪しをつけると能力主義と同じになってしまいますから、単純な「言動パターン」として認識してください。

ちなみに、人の持ち味(機能)は16歳くらいまでに固まるといわれています。子どもの場合はまだ確立している途中だと思いながら、観察するのがよいでしょう。

そうやって認識した持ち味を、折を見て丁寧にお子さんにも伝えてあげれば、将来自分に合わない場所を避けたり、持ち味を生かせそうな場所を選んだりしやすくなると思います。ものすごくのんびりしている子で急かされると焦りがちな場合は、救命医療のような1秒を争う現場は難しいかもしれません。自分の持ち味を知っていることは、生きていく上での武器になります。

非認知能力は「すでにある」

──一方で、「持ち味」が際立ちすぎると、その後の社会で馴染めなくなってしまうのでは、と心配する保護者も出てきそうです。

勅使川原:「持ち味」って、際立たせるとか尖らせるとはちょっと違っていて……。「根っからの性質」というか、変えようと思っても変えられないものなんですよ。

人間は、私たちが思っているほど「コントロール可能な存在」ではありません。保護者や大人は子どもの「持ち味」をよく観察して認識することはできますが、それ自体を変えたり、なくしてしまったりすることはできません。できるのは、否定しないことくらいです。

一人ひとりそれぞれの「持ち味」を持って生きている。だからこそ、全員が同じことをできる必要はないですし、それを求める能力主義や学歴社会的な考えには、改めてストップをかけたいと思います。

──油断すると、すぐに能力主義的な価値観に引っぱられてしまいます……。

勅使川原:能力主義は根深く社会に浸透していますからね。

能力主義や学歴社会的な考えから距離を置くためには、子どもの「前提」を確認することが大切です。能力主義は、出発点が「ない」状態、つまり欠乏です。その場合、「子どもに何かを与えなければいけない」となります。でも、脱・能力主義的な立場では、子どもはすでに多くを持っている、ととらえます。持っているから「持ち味」なんです。

昨今重要だといわれ始めた「非認知能力」も、私は要注意だと考えます。非認知能力は誰もが持っているもの。にもかかわらず、お金をかけた「体験」がないと伸びない、というような印象操作がされています。

「体験格差」という言葉も登場していますが、「夏休みに海外へ行ってボランティアをしなければ非認知能力を伸ばせない」などということは決してないのです。家庭内での遊びや手伝い、地域行事への参加といった日常生活の中の経験だって、十分に伸びていく。「良い経験」と「悪い経験」を分けているのは誰なのか、能力主義と同様にそこに課金させて競争を煽っている人はいないか。厳しく見ていく必要があると思います。

脱・能力主義で子どもと幸せに生きるために

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