火事、母の病…幼少期のアン ミカが身をもって実感した 子どもの運命を変える「大人の言葉」

【アン ミカさんと考える子どもの未来 後編】悩むことは素敵なこと! 自分で考えて答えを見つけよう

中学卒業時には自らモデル事務所へ、自立心の強い子どもだったアン ミカさん。 写真提供:株式会社テンカラット

たった15歳で大好きだったお母さんを亡くしたアン ミカさん。

母と過ごした時間は短くても、愛情と心に残る言葉をたくさんもらい、自分の血肉にしてきました。

中学を卒業目前に「モデルになる」と自ら事務所へ行ったアン ミカさんでしたが、そこはもちろん簡単には入れない厳しい世界でした。

ですが、粘り強くあきらめない姿勢を買われ、事務所へ入所。さまざまな挑戦を続け、やがて夢だったパリコレモデルとして華やかな舞台に立つことになります。

後編では、10代のアン ミカさんが出会った大人の方々と、彼らからかけられた励ましの言葉に触れていきます(前後編の後編、前編を読む)。

◆アン ミカ
モデル、タレント。1972年生まれ。韓国出身。大阪育ち。1993年パリ・コレクションに出演。モデルのほか、ジュエリー・ファッションデザイナー、化粧品プロデュース、エッセイスト、歌手、バラエティー出演など幅広く活躍。

『アン ミカさんと考える子どもの未来』は、前後編。
前編を読む
※公開日までリンク無効

災難に絶望するも、神父様の言葉で立ち上がる

アン ミカさんは4歳のころに家族で韓国から移住し、両親は自宅の1階でラーメン屋を営んでいました。

営業時間は夕方から次の日の明け方まで。ラーメン屋だけでなく、他にも仕事を掛け持ちするなど働き者の両親だったといいます。

ところが、お店が軌道に乗ってきたころ、火事でお店が燃えて大惨事に。自宅兼ラーメン屋を工事するため、一時期は教会の人たちを頼って身を寄せていたこともありました。

キリスト教カトリックを信仰し、ひたむきに生きてきたアン ミカさん家族。ですが、度重なる困難にさすがの彼女も不運を嘆きます。

「小さいころから神様を信じてきましたが、このときばかりはきょうだいで思わず楯突きましたね。

なぜ、こんなに性格が良く善良な両親や私たちに災難が起こるのか、不公平だと。“神様はいないんじゃないか”と思ってしまいました。

そんな私たちを神父様が諭してくださったんです。被害者意識を持たず、自分に起こるハプニングを信じること、人は必ず幸せになるために生きている、乗り越えられない試練を与えないとおっしゃっていました。

神父様は、私が生きている上で起きるさまざまなハードルは全部、知恵と工夫への質問状で、今を乗り越えればいつかは自分が困った人たちに寄り添ってあげられるし、心を育むことでいつかその経験を活かせるときが来るから、と教えてくれましたね」(アン ミカさん)

神父様の言葉が心に響き、気持ちを持ち直したというアン ミカさんは、新聞配達だけでなく勉強にも熱心に励みます。

時間を有効活用し、余った時間は手伝いだけでなく、教科の予習や陸上の練習に打ち込みました。授業ではよく手を上げるようになり、成績も伸びて部活でも順位を上げていきます。

大人の言葉を素直に受け止め、前向きに方向転換ができたアン ミカさん。多感な時期に向き合ってくれた神父様の言葉は糧になりました。

モデルの道へ、ちゃんと悩むことが大事だと教えてもらった

アン ミカさんが15歳でモデル事務所に飛び込んだのには理由がありました。

当時は、病気だったお母さんが亡くなる少し前のこと。生きている間に、なんとしてもモデルの道に進めることを伝えたかったそうです。

早速、大阪のモデル事務所に履歴書を送りましたが、まったく反応なし。直接、容姿を見てもらうために梅田の事務所へ行ってみるも相手にされず、何十回も制服を着たまま通いつめました。

その後は運よく事務所へ入り、モデルの世界へ。そこでは仕事の悩みや問題を話して相談できる優しい大人がいたといいます。

当時を振り返って思い出すのは、ある繊維工場の社長さん。いつもスーツ姿でニコニコしている白髪のダンディないでたちで、ファッションそのものをこよなく愛している方だったとアン ミカさんは懐かしそうに話します。

「その社長さんは、10代でモデルになった私のガッツを買ってくれた方です。いつも悩みを聞いてくださった方でもあり、いろいろなことを話してくれました。

『ミカちゃん、悩めるって幸せだよ。僕はもういい歳になってある程度のものは手に入ったから、悩めることがうらやましいよ。若いときはたくさん真面目に悩めば、自分なりの答えが出るから』との言葉もいただいたことがあります。

励ましてもらったとき、私は仕事でちょうど海外にいたんです。日本に帰国したらその社長さんに会いにいこうと思っていたんですけど、残念ながらお会いすることができませんでした。

私は知らなかったのですが、実は以前からがんを患っていたんです。

きっとご自分の命がもう長くはないことをわかっていたからこそ、悩むこと自体が幸せであると教えてくださったのだと思います。

その後、私はその社長さんのおかげでパリコレに出ることになり、入りたいと思っていた別のモデル事務所に入所できるなど、本当に感謝しかなかったです。

それからは、何か悩みがあってもいつも私は幸せなんだから、一生懸命生きているから悩んでいるんだとポジティブに思えるようになりました。

神父様の言葉と同じで、みんな幸せになるために生きていますから」(アン ミカさん)

信頼できる大人に出会えて幸せだったと話すアン ミカさん。両親以外にも気にかけてくれる大人たちのおかげで今があるとしみじみ振り返ります。

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