タブレット純 “みんな同じ”になじめなかった小中学時代「学校でうまくやれなくても生きてればいい」

シリーズ「不登校のキミとその親へ」#9‐3 歌手・お笑いタレント タブレット純さん~ぼくを救ったもの~

歌手・お笑いタレント:タブレット純

自分や人生に期待しなかったから救われた

世間一般の大人たちは、身近にいる子どもの元気がないように見えたら、前向きになれる方法とか物事をポジティブにとらえる大切さとか、そういうことが書いてある本を勧めるかもしれない。あくまでぼくの好みですけど、それは逆効果だと思う。

別の回(第1回)でもお話ししましたが、自分は子どものころから昭和歌謡が大好きで、不幸な内容の歌が多かったところにむしろ救われました。

つらい時期に「前向きになりましょう」「明るく生きていきましょう」と言われたら、そうできない自分を責めて、ますます追い詰められたでしょうね。「いい子」になれないことを責められているみたいで。

小学生のタブレット純さん。子ども時代は極端な人見知りだった。  写真提供:トルバ
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タブレット純さんの高校生のころ。ずっと「自分は何重苦もある」と思っていたという。  写真提供:トルバ

ちょっと違う話かもしれませんけど、最近は子どもに自信を持たせたり、自分には価値があると思わせたりすることが大事だって言われてますよね。もちろん、おっしゃることはわかります。自分は大切な存在だという気持ちを持つことは、いいことなんだと思います。

でも、もし自分が子どものころに、あなたは素晴らしい、あなたは何でもできると言われていたら、ぼくはすごく苦しかったでしょうね。直面している現実は素晴らしくも何ともなかったわけだし。

ウチはいわゆる「昭和の親」で、とくに父親は子どもに関心がありませんでした。母親も「お前はバカだから」と言い続けていました。たぶん𠮟咤激励のつもりだったんでしょうけど。

結果的に「自分にも人生にも期待するな」と教えられたのは、自分にはありがたかったかな。期待していなかったから、今まで生きてこられた気がします。「こんなはずじゃなかった」「自分がこんな目に遭っていいわけがない」と思わずにすみましたからね。

ま、そういう例もあるという結果オーライな話ですね。同じ状況がマイナスに働いたケースもあるかもしれません。ただ、子どもって、というか人間って、実はたくましい生き物ですよね。

親の側も「もっと『いい親』にならなければ」「子どものためにできることは何でもしなければ」みたいなプレッシャーは感じなくてもいいんじゃないでしょうか。

子どもには「生きているだけでいい」と伝えよう

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