世界的登山家・田部井淳子を悩ませた我が子の問題行動「あの田部井さんの息子」と呼ばれて

世界的登山家・田部井淳子の子育て【1/3】~反抗の始まり~

フリーライター:浜田 奈美

登山も子育ても協力し合う夫婦

1975年5月、田部井さんはエベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀(とうはん)隊長として、8848メートルの山頂に立ちました。

女性としては世界で初の快挙に世界中が沸き、田部井さんら登山隊が6月に帰国した際には、羽田空港に多くの報道陣が詰めかけました。

このとき田部井さんと夫・政伸さんの間には、2歳の長女がいましたが、エベレストを目指し、ふもとのネパールで登山の準備に集中していた半年間は、自身も登山家である政伸さんが親戚の協力を得ながら子育てをしていました。

登山を通じて知り合った田部井さん夫婦は、お互いが協力し合うことで登山も人生も「2倍」楽しむために結婚したそうです。83歳になった政伸さんがこう振り返ります。

「リビングのカレンダーにどちらかが山の予定を書き込むと、お互いがその予定を最優先しようという決まりでした。だから家事も育児も、お互いが人生を楽しむために全力でやろうということも、暗黙の了解でしたね」

そしてエベレスト登頂の快挙から3年後(1978年)、長男の進也さんが誕生します。

1975年5月16日、エベレスト頂上に立つ田部井淳子さん。  ©一般社団法人田部井淳子基金
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長男を苦しめた「あの田部井の息子」の視線

現在、47歳になった進也さんは、福島県出身の田部井さんが東日本大震災の被災地支援として立ち上げた「東北の高校生の富士登山」のプロジェクトリーダーを務めていますが、子どものころは、いわゆる「やんちゃ」な少年でした。政伸さんはこう振り返ります。

「本人の希望で、東京の中高一貫校に通わせたんです。自分のことを知らない学校に行きたいからって。それでも、中学校から毎週のように呼び出しをくらうようになって。

『進也君が朝から喫茶店でタバコを吸ってサボっていました』とか、『進也君がバイクを乗り回して警察に補導されました』とか、そういうことでしたね」

まるで楽しかった思い出を振り返るかのように、微笑みながら語る政伸さん。

学校から呼び出しがかかるたびに、夫婦のどちらかが校長室に駆け込み、「ご迷惑をおかけしました!」と頭を下げて始末書を書き、進也さんを連れて帰ってきたそうです。

進也さんがグレ始めたのは中学生時代だったとか。何かきっかけがあったのでしょうか。当の進也さんに尋ねました。

「地元にいると『エベレストに登ったあの田部井さんの息子』という視線をいちいち浴びて、すごく嫌だったんです。先生が𠮟るときでも『田部井さんの息子なんだから、もっとちゃんとしろ』とか。

自分にとってはごく普通の母親でしかないし、自分と母親はそもそも別の人間なのに、そういう視線の中で生きるのが、子ども心にものすごく息苦しかったですね」

進也さんが思春期に入ったころは、田部井さんのエベレスト登頂から20年ほど過ぎていました。しかしアラスカのマッキンリーやコーカサス山脈のエルブルス山など7大陸最高峰登頂踏破を1992年に成し遂げるなど、登山家としての世界的な活動が話題となり、各地での講演やメディア出演も切れ目なく続きました。

そのため「あの田部井さんの子どもなのだから、さぞ立派だろう」という周囲の好奇の視線が、容赦なく向けられたようです。

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