「連休明けの行き渋り」なぜ? 不登校の理由を8年間探し続けて気づいたこと

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息子の「安心できる場所」が侵される

ゴールデンウィークが明け、学校を休む日が増えると、担任の先生が時間を作って家まで来てくれるようになりました。しかし息子は、先生の車の音が聞こえると2階へ駆け上がり、布団をかぶってじっと動かなくなってしまいます。

「みんな○○くんのこと待ってるよ」「今日はこういう授業があるよ」と声をかけてくれる先生の姿に、親としてはありがたさを感じていました。一方で、訪問のたびに先生に背を向ける息子の態度が申し訳なく、ただ謝ることしかできない自分に、私自身もつらくなっていったのです。

息子がなぜそこまで先生を怖がるのか。はっきりした理由を私が学校に伝えられないから、先生は「家に行けば学校に来られるかもしれない」と思ってしまうのではないか。そう考えるほど、私は息子に「行けない理由」を求め、問い詰めるようになっていたのです。

先生の自宅訪問には、いわゆる「登校刺激」といわれるような、それなりの理由があるのだと思います。でも当時の息子にとって、家は「怖い学校から離れ、安心できる場所」だったはずです。

その場所に先生が来るということは、自宅でさえも安心できる場所ではなくなることを意味していたのではないかと、今になって思います。

理由がわからないままでも転機はやってくる

小学3年生になり担任が変わっても、息子の足が学校へ向くことはありませんでした。

「先生が怖い」は確かに本音だったけれど、それはたくさんの「しんどさ」のうちの、ようやく言葉になったひとつに過ぎなかったのだと今は思っています。

その後、息子が学校へ戻ることはなく、小学校時代のほとんどを自宅で過ごしました。そんな息子と一緒に過ごすうち、いつしか私は、不登校の理由を探すことをやめていきました。

学校に行けない理由を、何度聞いても出てこない。何より、私自身が理由を探すこと自体にしんどくなっていったのです。

学校に行く・行かないのやりとりだけで、午前中がつぶれてしまう。私に問い詰められる息子もつらそうだし、何より、息子のことをかわいいと思えなくなっていく自分が怖くなっていました。それよりも、「今日この子が家で少しでも穏やかに過ごせるか」。それだけを考えるようにしようと決めたのです。

息子が家で少しでも穏やかに過ごせるようにと考えるようになると、私自身も、家でできることに目を向けられるようになりました。学校での勉強がむずかしいなら、家でできる学び方はないだろうかと考え始めたのもこのころです。

パソコンを使った計算ゲームや漢字ゲームにトライしてみたり、ローマ字の勉強と称してキーボードの打ち方を教えてみたり。料理やお菓子づくり、掃除や片付けなど、息子と一緒に家事をする時間も増やしていきました。「家にいるからこそできること」を見つけるようになったのです。

すぐに大きく変わったわけではありませんが、家で安心して過ごせる時間が増えるなかで、息子にも少しずつ変化が見え始めました。

小学校卒業後もしばらくは自宅で過ごしていましたが、中学生になり、適応指導教室で出会った友だちをきっかけに少しずつ変化し、高校へ進学しました。現在は、かねての希望であった飲食関係の仕事に就いています。

不登校の理由は「説明しやすい形」では表れない

子どもが学校に行かなくなると、いじめ、友人関係のトラブル、学習のつまずきといった「わかりやすい理由」を親は探したくなります。

親としては、理由がわかれば学校に対応してもらえるし、自分たちも対応できるかもしれないという気持ちを抱くからです。また「正当な理由」さえあれば、親が学校を休ませる判断も、世間から許されるような気がしていました。

でも実際には、本人ですらうまく言葉にできない「体調」「不安」「怖さ」「漠然とした圧力」などが積み重なっているのが不登校という状態です。 学校に行けなくなった理由は、おそらくひとつではないのでしょう。

あのころの私は、ずっと「説明できる理由」を探していました。

それは学校に対してだけではありません。夫に対しても、祖父母に対しても、周りの保護者に対してもです。誰にも聞かれていないのに「うちの子は、こういう理由で不登校なんですよ」と明確な理由を添えて伝えたかったのです。「そうなんだね、じゃあ仕方ない」そう言ってほしかったのかもしれません。

最初に手放すべきは「理由がほしい」という気持ち

息子に必要だったことって?
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