家族を大切に思っているからこそ、口にしてはいけない、思ってはいけないと、胸の奥底に押し込めている「負の感情」はありませんか。
出版ジャーナリストの飯田一史さんもかつて、病気を抱える親に対して、周囲には決して打ち明けられない複雑な感情を抱えていた一人でした。
そんな「家族へのリアルな葛藤」を、障害のある兄弟姉妹を持つ「きょうだい児」の視点から描いた作品『君の火がゆらめいている』について、飯田さんが自身の経験を重ね合わせながら解説。
本作がすくい上げる「誰にも言えない孤独」と、読書感想文という営みが持つ可能性について綴ります。
▼『君の火がゆらめいている』をネット書店で見る
「言ってはいけない、思ってはいけない」という社会の空気
誰にも言えないけれど、内に抱えているものは誰しもある。
「言っちゃいけない」「思うことすらいけない」と思ってフタをしている気持ちもある。
たとえば、「家族のことを悪く言うべきではない」「病気や障害がある人を悪く言ってはいけない」という社会の空気がある。
だから家族に病気や障害があって、それが原因で日々ストレスや徒労感が蓄積されていたとしたら、それはもう「言ってはいけない」「思ってはいけない」ことの最たるもののひとつになる。
家族の病気や障害についてのネガティブな発言は、オモテに出すべきではない、と。
たとえまわりの人間がその家族のことをよく思わず、遠ざけていたり、あるいは病気や障害によって不利益を被っていたとしても、もっとも身近にいる血縁者は、家族について恥ずかしく感じること、疲れや怒りといった負の感情をぶつけること、外に吐き出すことが、事実上、許されていない。
もし口に出しても、たいていの場合、周囲からは「そんなこと言うのやめなよ」とか「気にすることないのに。大丈夫だよ」などと言われてしまう。
ネガティブな感情をそのまま受けとめてもらえることは、ほとんどない。
キレイごとでは片付かない家族への複雑な感情。我が家のリアル
私の父はパーキンソン病なのだが、病気になる前は口から生まれてきたような人で、何度も何度も同じ話をするし、よけいなことまで誰彼かまわず(もちろん、私に対しても)言うから、私はずっとそれがイヤだった。
筋力がおとろえてあまりしゃべらなくなったことで、過干渉が抑制され、静かになってよかったと感じたくらいだ。だけど、こんなことを思っていると誰かに言っても、ドン引きされるだけである。
私だって誰かから同じことを言われたら「そんなこと言わないほうがいいよ」と返すだろう。でも、そう感じることは変えられない。
家族に対して、シンプルに「好き」とだけ言えればいいのにそうはならない複雑な感情は、止めようとしても勝手に湧き出てくる。
どうにもならないとわかっていても、「どうにかならないのかな」とか「なんでよりにもよって自分の肉親が」と思ってしまう。そのこと自体はどうにもできない。
ふつふつと浮かんでくるのに、そういう気持ちは、世の中では「抱いても話してもいけない」枠にあるべきものとされている。だから、たしかにそこにある感情なのに、胸の奥に押し込められ、「ない」ことにしよう、見ないようにしよう、とされる。
そうして、誰にも相談できず、グチをこぼして発散することすらできない気持ちが、ただただ積み上がっていく。
「きょうだい児」が直面する、行き場のない現実と孤独
落合由佳『君の火がゆらめいている』は、そんな心情を真正面から掘り下げた作品だ。
主人公の少女・葉澄は、いわゆる「きょうだい児」だ。
自閉スペクトラム症(ASD)と知的障害がある双子の姉・菜々実がいる。
自分があたりまえにできることが、菜々実はできない。
それによって葉澄は友だちから、誕生会に菜々実は「来ないでほしい」と言われたり、同級生の男子から「おまえはショーガイシャじゃないの?」とバカにされたりする。
そういうことが積もりに積もって、葉澄はときどき学校を休むようになる。
葉澄は、菜々実のことはきらいではない。大事に思っている。
他人が姉のことをぞんざいに扱ったり、からかったりすると、カッとなる。
でも同時に、姉の存在によって、自分のなかに行き場のない気持ちが生まれている。それも認めざるをえない、葉澄の現実だ。
両親は「悩みがあったらなんでも相談して」と言うけれど、親に言えるわけがない。
胸の奥の「フタ」を取り払う対話の場






































