長谷川あかり「料理家になる片鱗なんて一ミリもなかった」

【大人気連載復活】わたしが子どもだったころSeason2:Vol4.長谷川あかりさん

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「あの人は、子どものころ、どんな子どもだったんだろう」

「この人の親って、どんな人なんだろう」

「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」

今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。

そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする連載です。

今回は、昨年2025年からスタートした『クックパッド食トレンド大賞』。その初代受賞者の一人が、出すレシピ本がすべてヒット中! という長谷川あかりさん。意外性がありながらも「自分でも美味しく作れそう!!」とやる気を起こさせるレシピが、「あかり信じてるぞ」というミームを生み出したほど大人気。「疲れた……」「めんどくさい……」から救うアイディア豊かなレシピは、一体どんな子ども時代から生まれたのでしょう!?

わたしが子どもだったころ過去連載はこちら

料理家になる片鱗なんて一ミリもなかった

我が家は父と専業主婦の母、兄と私と妹という5人家族。でもみんな比較的静かで控え目、私だけが1人でひたすらしゃべっているような不思議な状態でした。我も強くて、「やりたい!」と思った習い事は、親に泣いて食い下がってやらせてもらっていました。ダンスはジャズにヒップホップにモダンバレエの3種類、空手は大人クラスと子どもクラスの両方、あと親からやるように言われた水泳……。そんなわけで週6日は習い事、という子ども時代でした。

じゃあどれも好きで楽しんでいたかというと、これがそうでもなかったというか。私はめちゃくちゃ負けず嫌いで、やるからには一番になりたいという子どもで。またそれを人に言ってしまうので、できないと恥ずかしいから頑張らざるを得ない。かつ、褒められるとやめられなくなる性質もあったので、もはやどれも意地でやっていました。だから正直、決して楽しくはなかったんですよね(笑)。

しかも父と母がまた、「良い警官、悪い警官」みたいなペアで。私が何かやりたいと言うと、まず母が現実的なリスクの説明や、私の覚悟を問うような質問をするんです。で、ひとしきり反対された最後に父が、「そんなに言うならやりなさい」と言う。そうすると私は引っ込みがつかなくなって、頑張ってしまう。このころは自分が将来料理家になる片鱗なんて一ミリもなかったですね。

突然、タレントとして活動する日々に

では子どものころの私の夢は何だったかというと、ダンサーでした。ダンス教室の先生にすすめられてavexのオーディションを受けたんです。そのとき、『天才てれび君MAX』のてれび戦士役のオーディションをすすめられて、受けたところ受かってしまって。急転直下で子どもタレントとしての日々が始まった、みたいな感じでした。

親がタレント活動をOKしてくれたのかは、覚えていないですね。とりあえず『天才てれび君』に受かったと知って、母はパニックで慌てていました。そりゃそうですよね、リスクもあるでしょうし。その後は懸命に、サポートしてくれました。

私の母は本当に心配性で、いつも何事も最悪のケースを想像しておけ、という人だったんです。夜道を歩いたら危ない目に遭うかもしれないとか、事故に遭うかも、盗難に遭うかも、と……。子どものころは心配しすぎじゃないかと思っていましたけど、私が健やかに暮らせているのは母に注意力を刷り込まれたおかげかなと感じています。

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