窪塚洋介「当時の俺の夢は『人と話せるようになりたい』だったんです」

【大人気連載復活】わたしが子どもだったころSeason2:Vol3.窪塚洋介さん (2/3) 1ページ目に戻る

実は高学歴一家。でも勉強しろとは言われなかった

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「楽しめ」が信条の親だったので、俺が15歳で芸能界に進みたいと言ったときも、オヤジが一眼レフでプロフィール写真を撮ってくれるなど応援してくれました。過保護といえば過保護だけど、そこも一緒に楽しんでくれてたんだと思う。

実は我が家は、俺以外全員大学を出ていて。オヤジにいたっては東大卒なんですけど、とくに勉強を強要することはなくて、「大学は行けるなら行ったらいいんじゃない」ぐらいだった。だから俺、一応青学(青山学院大学)の夜間部を受けたんですよ。でも全然分からなくて。人生で初めて鉛筆を倒して答えを決めました(笑)。もちろん不合格。おかげで吹っ切れましたね。もしあのとき合格してたら、「学歴なんて必要ねーよ!」って中指立ててなかったと思う(笑)。そうそう、子どものころから「世渡り上手」というのもよく言われていましたね。だから俺、反抗期がなかったんですよ。なんかそういうの、非効率だなって。

出たがりとか世渡り上手とか口から先に生まれたとか、散々な感じですけど、それは俺が“みんなをハッピーにする”ということに全振りしてきたからだと思う。だから俺、飲み会なんかのときは完全にピエロになります。人を笑わせたいんですよ。よく、会った人からは「もっとクールかと思った」と言われるんですけど、これが俺が子どものころから一貫してやりたいことなんだと思います。

息子に努力している姿を見せるのはダサいと思っていた

だから長男の愛流が同じ俳優の道に進んだときは、「まあ、こうなるよな」と思いましたね。父親の姿を見て、「楽しそうだな」と思ったんだと思う。俳優って努力が必要な職業でもあるけど、俺はその部分を見せていなかったから。後に、「あえて見せていなかった、だからこの仕事をナメるなよ」という話はしましたが、愛流は「そうなん? 知らんかった」とちょっと驚いていましたね。

なぜ見せなかったのか。とくに意図していたわけじゃなかったけど、どこかでそういうのはダサいと思っていたんでしょうね。

下の娘はまだ8歳なのでつい過保護になってしまうんですけど、愛流には親の事情もあって過酷な経験もさせてしまった。でも愛流は、俺がオヤジを想っていた以上に、俺のことを好きでいてくれているみたいです。俺なんて、18歳で家を出た後は3年間一度も連絡しなかったですからね。しかも「次連絡するときは事務所通して」とまで言って! オヤジはブチ切れてました(笑)。

でも子どもってそんなもの。だから愛流のことも、本人を信じるようにしています。心配したらキリがないし、子どもだって疲れるだろうし。追えば逃げる、それが子どもってものだと思いますから。

結局、気合と根性。昭和だけど
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