400人を取材した『不登校新聞』代表が確言 不登校で得るスゴイ“強み”

シリーズ「不登校に苦しむキミとその親へ」#1‐2 不登校新聞代表理事・石井しこう氏~不登校で得た力~

不登校新聞代表理事:石井 しこう

20年以上、不登校をテーマに取材・執筆を続けてきた不登校新聞代表理事の石井しこう氏。  写真:日下部真紀

年々、過去最大の増加数を更新し、大きな問題とされている不登校。

日本唯一の不登校専門紙『不登校新聞』代表理事の石井しこう氏も元不登校児でした。約20年400人以上の不登校児や親、有識者を取材してきた中で、自身の不登校経験は大きな原点となり、今も自分を支える大切な守り神だと言います。

不登校の経験は生きていくどんな糧(かて)になるのか、聞きました。

※2回目/全4回(#1を読む

石井しこうプロフィール
『不登校新聞』代表理事。1982年東京都生まれ。中学2年生から不登校になりフリースクールへ。19歳から日本で唯一の不登校の専門紙『不登校新聞』のスタッフとなり、2006~2022年に編集長を務める。これまで不登校当事者、親、有識者など400人以上を取材。不登校にまつわる著作やメディア出演も多数。

不登校だった経験は自分にとっての守り神

僕は25年前、中学2年生の冬に不登校になりました。

ある日「もう学校に行きたくない」と泣きながら母親に訴えたんです。その後、当時はまだ認知度が低かったフリースクールに通い始めました。そこで居場所を見つけて、ようやく息ができるようになりました。

『不登校新聞』に出合ったのは、16歳のときです。最初はボランティアスタッフとして働いて、19歳からは正式なスタッフになりました。24歳で編集長になって、今はNPO法人全国不登校新聞社の代表理事をやっています。

間違いなく、あのとき不登校をしたことで自分は救われた。不登校経験は自分の原点だし、自分にとっての守り神です。

仕事をする上でも、日々の生活や人間関係でつらいことがあったときも、不登校から学んだことが自分をずっと支えてくれています。

いちばんは、自分の気持ちに噓をついても続かないと思い知ったことですね。自分を曲げたり自分を殺したりして無理に合わせようとしても、絶対にうまくいかない。

もし過去の自分が頑張って学校に合わせて、半端に適応できていたとしたら、自分の心に噓をつく人になっていたかもしれない。自分をだまして無理して働いて、自分が壊れていたかもしれない。

不登校に限らず、誰しもいろんな場面で人生との向き合い方を考えますよね。就職だったり退職だったり介護だったり大病をしたり……。

僕の場合は、早めにその時期が来て、早めに気づかせてもらったのかなと。運がよかったと思っています。

中学生のころは差別意識の塊だった

今はこんなこと言っていますが、学校に行かなくなったばかりのときは、自分の人生はこれで終わったと絶望していました。不登校につながる最初のきっかけは、中学受験に失敗したことです。

深い挫折感を引きずったまま中学生活がスタートして、いじめに遭ったり教師との関係が悪くなったりして、とうとう限界値を越えました。

中学生のころの自分を振り返ると、差別意識の塊でしたね。勉強ができること、いい学歴を手に入れることこそが人間の価値である。受験勉強を通じて、徹底的にそう教えられました。

失敗したことで、自分には何の価値もない、何をやってもダメなんだと思い込んでしまった。でも、もし仮に合格していたら、自分はえらいんだと勘違いしていたでしょうね。

その後『不登校新聞』の活動を通じて、いろんな生き方や価値観があることを知り、親も一生懸命に支えてくれて、徐々に“呪い”は解けていきました。完全に解けるまでには10年ぐらいかかりましたね。

今もたくさんの子どもたちが、親や教師や世の中から同じ呪いをかけられている。それを思うと、やりきれない気持ちになります。

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