娘が生まれた年に仕事をやめて絵本作家に 新井洋行の「斬新」な人生

担当編集者2人と話す「絵本づくり」のこと 前編

編集者・ライター:山口 真央

絵本作家の新井洋行さん(中央)、KADOKAWAの内藤澄英さん(左)講談社の森絵美さん(右)。

絵本は新しい遊びやを提案する「プロダクト」

新井洋行さんは、オリジナリティあふれる構成やギミックで、子どもに刺さる本を出版し続けてる絵本作家です。

この記事では、新井洋行さんと、担当編集者であるKADOKAWAの内藤澄英さん、講談社の森絵美さんの特別鼎談をレポート。

前編は、新井さんが絵本づくりで大切にしていることや、大手ゲームメーカーに勤めていた新井さんが絵本をつくるようになったきっかけ、また独立後に学んだことなどを伺います。


講談社 森絵美さん(以下森、敬称略):
新井さんが『ツリーさん』をつくられたのは2012年、『ハッピー ハロウィン!』をつくられたのは2013年ですね。このころは、クリスマスやハロウィンなどのイベントをテーマとした低年齢向けの絵本は、少なかった印象です。

新井洋行さん(以下新井、敬称略):イベントの内容がはっきりとはわからない年齢の子どもでも、楽しめるものをつくりたいと考えました。『ハッピー ハロウィン!』は、おばけやモンスターが行列をつくるシーンを見せたくて、それを実現できたのがよかったです。

森:最後には読者もモンスターになれる仕掛けがあって、盛り上がりますよね。新井さんのつくる赤ちゃん絵本は、シンプルで、要素が絞られているから面白さが伝わりやすい。だから、子どもたちに人気があるのだと思います。
左から『ツリーさん』、『ハッピー ハロウィン!』(共に講談社)。
KADOKAWA 内藤澄英さん(以下内藤、敬称略):比べると、KADOKAWAから出した『おばけくんのハロウィン』や『ぼうしくんのクリスマスプレゼント』は、ストーリー重視の内容ですよね。

新井:講談社から出した赤ちゃん絵本よりは、もう少し年齢が上のお子さんが対象の絵本になっています。

内藤:『ぼうしくんのクリスマスプレゼント』は、サンタクロースの帽子が主役。冒頭に「あわてんぼうの だれかさんが」と、子どもたちが大好きな例の歌を匂わせています(笑)。

新井:クリスマスやハロウィン絵本をつくるときに、いつも脇役になるものにスポットを当てたいと思いました。昔から漫画とか映画とかのスピンオフものが好きなんです。
左から『ぼうしくんのクリスマスプレゼント』、『おばけくんのハロウィン』(ともにKADOKAWA)。
内藤:新井さんの作品には、ほかの絵本作家さんが考えつかないようなエッセンスが込められていると、いつも感じています。

新井:それは僕がほかの絵本作家さんと、絵本をつくるときの考え方が違うからかもしれないです。僕にとって絵本は、自分の世界観を表現するメディアではなく、新しい遊びを提案する1個のプロダクトだと考えているんです。

森:だから、読んでいるだけじゃなくて、子どもと「やりとり」やゲームをしているような感覚があるんですね。

新井:もともと「もの」のデザインが好きなんですよ。大学でも、プロダクトデザインを学んでいたし、絵本作家になる前には、ベネッセの「こどもちゃれんじ」の積み木やすごろくづくりに携わったこともあります。

内藤:たしかに、新井さんの作品は絵本とおもちゃの間のような、独特の仕掛けが施されていることが多いですよね。

新井:そうかもしれません。絵本をつくるのは、新しい遊びのルールをつくるのと同じことだと思っていて。僕が絵本づくりで、大事にしていることの1つです。

「赤ちゃん絵本」が得意なのは最初の読者が娘だったから

森:新井さんは大手ゲーム会社に勤務されていたそうですが、どんなきっかけがあって「絵本作家」に転向したのですか。

新井:学生のころから、子どもが遊ぶものをつくりたいという気持ちはずっとあって、子ども向けゲーム機やソフトをつくっている会社に就職しました。でも、配属されたのは大人向けのゲームをつくる部署。それでもゲームは好きだったので、それなりに充実感はありました。

転機が訪れたのは、2001年です。会社で仕事をしているときに、子どものころから大好きだったムーミンの作者、トーベ・ヤンソンさんが亡くなったニュースをパソコンで見ました。そこで「あれ、おかしいぞ? なんでここにいるんだ」と。

森:それは何歳のときに?

新井:27歳ですね。そのとき、会社でプロジェクトのデザインリーダーをやらせてもらっていたので、同僚に会社をやめると言ったら、もったいないと言われました。

でも会社に居続けるほうが、僕にとってはリスクが高いと思ったんです。それくらい、絵本作家の道に進むことに躊躇いはありませんでした。ちょうど、長女が生まれたこともあって「めっちゃいいタイミングじゃん!」と思ったことを覚えています。
新井洋行さん(中央)と絵本作家になったきっかけを話す、KADOKAWAの内藤澄英さん(左)と、講談社の森絵美さん(右)。
内藤:お子さんが生まれた年に、会社をやめたんですね! それって、結構勇気のいることだと思います。

新井:あのころの僕は、自分に自信しかなくて。世にこの才能が解き放たれたら、世の中ひっくり返るぞと思っていました(笑)。会社をやめてすぐに、評判のいい絵本や自分が興味ある絵本を、娘と一緒にたくさん読みました。

だけど実際に世の中に出てみたら、何の後ろ盾もコネもないんですよ。飛び込みで出版社に電話して、自分でつくった絵本とポートフォリオを見せる、営業の日々でした。

内藤:新井さんにも「下積み時代」があったんですね。

新井:そうそう。大変だったけどその時期に学んだことが、今の作家人生に大きく影響してますね。ある出版社に持ち込みしたとき、1人の編集者さんから「作家は読者の想像を、遥か超えていかなればいけない」と言われたことがあって。これは今でも僕の考えのベースになっていることです。

ページをめくるたびにっていうのもあるし、絵本の存在自体も、読者の期待を遥か超えていきたい。アイディアが突き抜けていることが、僕の絵本を生み出すときの基準になっています。
自作の絵本を眺める新井洋行さん。絵本をつくるときは「このアイディアは突き抜けているのか」と、自問自答を繰り返すそうです。
森:その視点こそが一番難しいところですね。それで、すぐに、絵本作家としてデビューされたんですか。

新井:いや、絵本作家としてデビューしたのは、もうちょっと先です。最初は幼児雑誌のイラストや、子ども新聞に掲載される短い漫画の仕事をコツコツと続けていました。

そのうちに、その短い漫画をまとめて本にしようと言ってもらえて、それが僕の書籍デビューになりました。売れ行きがよかったので、次に創作絵本を出せることになったんですが、絵本のほうは全然売れませんでした。ある日、出版社から電話がかかってきて「申し訳ないですけど、本を断裁します」と言われてしまったんです。

あんなに愛おしい本ができたのに、それが処分されてしまうなんて、本当につらかった。そのとき僕が誓ったのは、自分がつくりたいものをつくるんじゃなくて、ちゃんとみんなが欲しい本、愛される本をつくろうということです。

僕の代表作『あけて・あけてえほん れいぞうこ』(偕成社)ができるのは、その少しあとでした。娘がちょうど1歳ぐらいだったので、まずは我が子が楽しめるものをつくろうと思ってできた絵本です。ありがたいことに、「赤ちゃん絵本作家」として覚えてもらっているのは、最初の読者が娘だったことが大きな理由となっています。

新井洋行さんのクリスマス絵本

『ツリーさん』

『ぼうしくんのクリスマスプレゼント』

やまぐち まお

山口 真央

編集者・ライター

幼児雑誌「げんき」「NHKのおかあさんといっしょ」「おともだち」「たのしい幼稚園」「テレビマガジン」の編集者兼ライター。2018年生ま...

あらい ひろゆき

新井 洋行

Hiroyuki Arai
絵本作家・デザイナー

1974年、東京生まれ。絵本作家、デザイナー。東京造形大学非常勤講師。絵本に『れいぞうこ』(偕成社)、『いろいろ ばあ』(えほんの杜)...