生物学者が大絶賛!「生命とは何か」を教えてくれる"偉大なる啓蒙書"が誕生
2018.12.06
生きものの生態を4コママンガとともに著者ならではの視点で綴った、笑って泣ける観察記。
このたび、国立環境研究所の生物・生態系環境研究センター室長である、生物学者の五箇公一先生が大人も楽めるポイントや、この本の活用法などを解説してくださいました。
五箇先生も称賛する小松貴先生著の『ハカセは見た!! 学校では教えてくれない生きもののひみつ
~生きものの知られざる素顔~』とはーーー。
これまでも昆虫に関わる様々な名著を執筆するとともに、美しい昆虫写真を撮影していることでも有名な人物である。
なにより個人的に尊敬するところは、我々のように何らかの組織にぶら下がって、成果を問わず給料を頂ける職業研究者とは異なり、「昆虫好き」という肩書きだけで、独立して、自立して、生きてこられた、まさに南方熊楠の再来ともいうべき、真の「学者」であるということだ。実際に学会や学術誌でも高度な研究成果を発表され続けている。
そんな新進気鋭の「昆虫学者」である氏から直々に書評を書いて欲しいとご依頼を頂いた時は、柄にもなく、光栄に思うとともに、自分もそこまで「立派な学者」になったかなどと自惚れるとともに、一方で、大変緊張をおぼえた。
児童用の本ということで、その書評はどの年齢向きに書けばいいのか?昆虫好きのテイストで書けばいいのか?学者としての意見を書けばいいのか?……などなど、「大人の事情」というか「学者としての体裁」を気にしながら、本を読みはじめた。
そして読み進めていくと、そんな大人の(いかがわしい)感情はどこかに吹き飛び、あっという間に悪ガキの生きもの観察ワールドへと引き込まれた。本文には、思いつくままに、淡々と、筆者と虫や動物たちとの出会いのエピソードが語られている。説教くさいセリフもなければ大げさな感嘆詞もない。しかし、日記のように綴られた描写は、実に生き生きとしていて、筆者が目の当たりにしている生きものの姿と、筆者の嬉々とした心情が臨場感を持って伝わってくる。
よくみてみると、エピソードは決して時系列に沿って書かれているわけではなく、幼少期、大学生時代、大人になってからなど、様々な人生時代のエピソードが入り混じって書かれている。
にも関わらず、どのエピソードにも「成長」は感じられず、どれも子供の夏休みの体験記のような無邪気さに溢れている。すなわち筆者が今も昔も変わらずピュアな心と目を持ち続けて生きていることがよくわかる。
いちいち読み手を意識して飾るようなことはしない文章。それでいい。
最近は学者による科学読本も増えているが、どこかしらに学者としての自己顕示欲であったり、商売っ気であったり、大人の「気持ち」が垣間見える書き物が少なくなく、実際のところ、同じ学者業界人として筆者の人となりを知ってて読んだりすると、興が冷めてガッカリ・・・なんてこともよくある。この本に関しては、まったくもってそんな感情を抱かされることもなく、筆者の人格がそのまんま映し出されていて、読んでいても素直に共感と感情移入ができる」
身近な昆虫や、スズメ、コウモリ、モグラといった小動物まで相手に、遊びを展開し、大人になっても、海外にまで遠征して見たこともない昆虫を探し回り、果ては太古の翼竜の生き残りや、トイレの神様にまで出くわす・・・なんというワンダフル(素晴らしい、という意味ではなく、wonder=驚きに満ちた、という意味)な「生きもの」人生だろうか!
一方で、そんな楽しいストーリーのところどころに「でも、この種は今では勝手に捕獲が禁止されている…」など、種の保全を意識した文言も目立ち、現代の生態系保全・自然保護優先の世知辛い風潮もみてとれる。
子供達がのびのびと昆虫を採集したり、飼育したり、弄ったりして、自然と自由に戯れることができない世の中にしてしまったのは我々大人の責任であることも突きつけられる。
筆者は、ときには残酷に昆虫や動物を弄り、その滑稽な行為をみて面白がるという、今ならエコロジストたちに目くじら立てられそうな行為を繰り返してきたことも赤裸々に記している。しかし、そうした残虐行為も含めて幼き頃に思い切り生物を相手に「遊ぶ」ことで生命の尊さを学ぶことができたと著者は語る。
この意見には全く同意する。自分も富山の田舎で育った時、さんざん昆虫やカエルを虐待して遊んだ記憶がある。もともと子供とは残酷なものだ。それは人間としての成長過程で一時的に表れる「原始的野生」なのだと思う。そうした行動を思いっきり発露して、初めて「命には限りがある」こと、そして殺してしまえば「もう生き返らない」ことを思い知る。そして理性と知性を備えた大人へと成長する。
先ほど、思い切り自然相手に遊ぶことができない環境や社会になってしまっていることを嘆いたが、そうした不自由な環境で育てば、単純に「自然を知らない」大人になるばかりでなく、「生命の尊さを知らない」大人になってしまうのではないかと心配になる。
本書は、とても平易に子供向けに書かれた良書ではあるが、実はこれはかつて自然と遊んだ記憶がある大人たちの記憶を呼び覚まし、これからの子供たちにその記憶や想いを伝えるために書かれた大人のための本でもあるのだ。
自然を守る=保全生態学なる分野の本の多くは、やたらと小難しく、また正義感に満ちた主義主張が並べ立てられたものが多い。また子供向けの啓蒙書でも、「自然とは美しいもの」「生物とは愛おしいもの」といった論調で、まさに神から目線で「愛護」「保護」の精神を押し付けるものが目立つ。
かくいう自分もそんな書物や解説ばかり書いてきた。そしてそんな文章を書きながら、実際は自分でも歯が浮く想いをし続けてきた。本当の自分は幼き頃に生物を格好のいじめの対象として弄りまくった、「普通の人間」である。でも、そんな幼少期が今の大人としての、そして学者としての自分を形成する上でとても大切な時期だったに違いないと、本書を読んで改めて思う。
今の私たち大人に求められることは、子供達がどんなに採集しても、弄っても、虐待しても、全然平気なくらい生き物に満ち溢れた豊かな自然を取り戻すことだ。この本は、子供向けの読み物の体をなしているが、人としてとても大切なこと、すなわち「生命とは何か」を教えてくれる、偉大なる啓蒙書でもあるのだ。
是非とも親子で読んで、虫について、自然について、語り合ってほしい。そして是非とも一緒に虫取りに出かけてほしい」