連載開始55周年『あしたのジョー』の舞台をめぐる新機軸の漫画がスタート!

TELEMAGA.netで連載が始まる『あしたのお嬢 ~ゆかりの地を歩く~』で紹介したジョーの聖地を紹介!

テレビマガジン編集部

昭和を代表する名作漫画

「週刊少年マガジン」1968年1月1日号で、のちに伝説となる漫画の連載が始まった。

漫画のタイトルは、『あしたのジョー』。

漫画は、『ちかいの魔球』、『ハリスの旋風』で人気漫画家の仲間入りをはたしていた、ちばてつや。

原作は、同じ「週刊少年マガジン」で連載していた『巨人の星』の原作を執筆していた高森朝雄(梶原一騎)が担当することになる。

この、当時の人気作家ふたりによるボクシング漫画は、大きな反響を呼び、当時の読者の中心であった少年だけでなく、大学生や大人たちの心もつかみ、多大な影響を彼らに与えた。

時は高度経済成長の真っ只中、戦後の復興とともに、目まぐるしく世相が変わりゆく時代でもあった。
矢吹 丈
身寄りのない少年が、ひとりふらりと現れた。

彼の名は、矢吹 丈。

彼がたどり着いたところは下町のドヤ街だった。

宿(簡易宿泊所)が立ち並び、そのことから、ドヤ街と呼ばれているのだ。

ドヤとは、宿の逆さ言葉だ。
丹下段平
ジョーはその街で、やくざとのけんかに巻き込まれるが、華麗なステップで、つぎつぎとやくざたちを伸していく。

アイパッチに中折れ帽をかぶる怪しい姿の男が、その姿に魅了されていた。

丹下段平。

彼は、かつては日本チャンピオンを嘱望された有能なボクサーだったが、試合中の事故により左目を失明、栄光への道を断たれてしまう。

後進を育てることに生きがいを見出した段平だったが、自らボクシングジムを開設するものの、思うように選手は育たず、多額の借金だけが残ったままジムの閉鎖を余儀なくされてしまう……。

アルコールに溺れ、生きる希望を失っていた段平にとって、ジョーは天啓とも呼べるものであった。

はじまりは「泪橋」から

拳闘のすべてを知り尽くしているが、戦う術を失った男。

拳闘の才能を持つが、強さが開花していない少年。

ふたりは、出会うべくして出会ったのだ。

段平はジョーのために、小さいながらも手作りのボクシングジム「丹下段平拳闘クラブ」を、橋の下に構える。

その橋こそ、実在の地名として存在する「泪橋」なのだ。

「泪橋」があるのは、荒川区南千住。

東西に明治通り、南北に旧日光街道が走る交差点がある場所に実在する。
丹下拳闘クラブ
泪橋交差点
現在、泪橋のある場所には川は流れておらず、橋を見ることもできない。

交差点とバス停の名称として、泪橋という名前が残るだけだ。

では、連載当時の1960~70年代はどうであったのであろう?

じつは、その当時もすでに、橋はなかったようなのだ。

それは、当時の航空写真からもわかる。

では、なぜ、『あしたのジョー』には、存在しない橋が描かれたのか?
1971年に荒川区上空から撮影された航空写真  出典:国土地理院 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
その謎を解き明かす前に、泪橋の由来がどこからきたのか見ていくことにしよう。

時は、泪橋が造られたとされる、江戸時代に遡る。

泪橋があった南千住は江戸の町の北端にあたり、この橋の北側に、小塚原刑場という囚人の処刑場が存在した。(上記航空写真の隅田川駅がある辺り)

泪橋は、この小塚原刑場に向かうときに渡らなければならない、思川(おもいがわ)にかかる橋だった。

この橋を渡るのは、今生に別れを告げる囚人、そして、それを見送る身内の者。

多くの者が、この橋で別れを惜しみ、涙を流したという。
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