
「あの子のおかげで私も変われた」不登校・4つのフリースクールをさまよって親子がたどり着いた「正解」のない答え[教育ジャーナリストがルポ]
特別公開『フリースクールという選択』おおたとしまさ著 1/4(全4回) (2/3) 1ページ目に戻る
2026.05.12
教育ジャーナリスト:おおたとしまさ
小学1年生の5月に不登校
いきなりですが、わが子に合ったフリースクールに出会うまで、長い長い道のりを旅してきたある母親の告白です。
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ユズル(仮名)は保育園のころから行き渋りをくり返していました。保育園ではまわりに合わせて無理をするんです。
保育園の先生は「楽しくすごしてました」と言うのですが、家に帰ってくると毎日ひどい癇癪(かんしゃく)でした。その相手をするのに、私も疲れ果てて……。
いま思えば必要以上にいろんな相談機関に行きました。診断がほしかったんです。私のせいじゃないって誰かに言ってもらいたかったんだと思います。
小学校に上がったら、お友達関係もいちどリセットされてやり直せるんじゃないかって本人も期待して、楽しみにしていました。私もそこに望みをかけていました。でも入学から1ヵ月もしないうちに、学校に行けなくなりました。
ちょうど下の子の育休に重なったので、下の子をおぶって、毎日ユズルと登校しました。「いま私が頑張らないと、あの子の人生、ヤバい……」って本気で思って、必死でした。
学校の先生からは「お母さん、大丈夫ですか?」って心配されて、いろいろな相談機関を紹介されましたけれど、私じゃなくてユズルをどうにかしてほしいと苛(いら)立っていました。
フリースクールをさまよった2年間
半年くらいはそうやって頑張ったんですけど、あるとき「これ、そこまでして続ける意味あるのかな?」って思ったんです。ユズルは毎日毎日毎日毎日……私に怒られてかわいそうだし、学校の先生とのやりとりにも疲れてしまったし。
それで気づいたんです。自分を変えるしかないって。 ありとあらゆる手を尽くして、手が届く限りのボタンをぜんぶ押してみたけれど何も変わらない。気づけば、最後に残っていたボタンは自分だけだったんです。 それで学校に行くのをやめました。
そこからフリースクールという存在を知りましたが、「ヒカモリ」(光の森学園)にたどりつくまで約2年間。ヒカモリが4つめのフリースクールでした。
子どもを追いつめる「どうだった?」
最初に訪ねたところは、いちばん近所のフリースクール。わりと大きな組織が母体でした。ユズルは頑張って適応しようとして、職員に「楽しかった! また来ます!」って答えるんです。その一言に、私も希望を感じました。でも、それっきり行こうとしない。
「5分だけでも行ってみない? 行けば変わるかもしれないよ」なんて半ばむりやり連れていきました。学校のときと同じです。終わって、「どうだった?」って聞くじゃないですか。そうするとまた「楽しかった!」って言うんですけど、次からはもう行かない。
その場しのぎの“いい子”を演じさせちゃってるんだと気づいて、あきらめました。
次に訪ねた小さなフリースクールは体験だけで終わりました。3つめのフリースクールには2ヵ月を超えたくらいからやっぱりぱったり行かなくなって……。私もとうとう仕事を辞めました。
ユズルと外の世界をつなぐつながりがほしかったこのころ、ユズルはものすごく荒れていたし、自分責めもすごかったんです。「もう生きていなくていいだろう」とか「死にたいな」とか。
私としては、もう生きていてくれさえすればいいや、と。勉強が心配とか、そんなことを言っているような状況じゃぜんぜんなかったです。
































