
【不登校】で成績オール1から公立大医学部へ 中2で起立性調節障害「治るまで3年」の診断 そのとき母は
不登校から小児精神科医を目指すまで 母親インタビュー第1回「不登校の始まり」/全6回 (2/3) 1ページ目に戻る
2026.07.30
教育ジャーナリスト:おおたとしまさ
おおたとしまささん(以下おおた):中学2年で起立性調節障害になったということですが、それまでは、どんなお子さんだったんでしょう。
倉孝子さん(以下孝子):息子の俊徳(としのり)は、すごく元気なタイプの子でした。小学校のときから野球をやっていて、中学でも野球部。だから、学校に行き渋るなんてことも、それまで全くなかったんです。
私はもともと、子どもに勉強させたいというタイプの親ではありませんでした。野山で元気に遊んでほしい、とずっと思っていて。ところが小学校3年生のとき、息子が急に野口英世の本を何冊も読んで、「医者になりたい」と言い出したんです。
おおた:面白いですね。子どもが理由もなく「これだ」と感じたものが、じつはその子の力を発揮できる方向を指している、ということって、よくあるんです。この方向なら頑張れる、って。
孝子:そういう人生もあるのかもしれないな、と思って、全国統一小学生テストを受けさせてみたら、成績が非常に悪かった。これはまずいと思って近所の塾に入れようとしたら、あまりにできなくて、入塾を断られました。
「なぜこの塾に入ろうと思ったんですか」と聞かれて、「将来、子どもが医者になりたいと言っているので、今から塾かと思いまして」と話したら、「医者になるには、地元の中学でトップになって、その地域の進学校で上位数%に入るレベルでないと。お宅のお子さんは……」と説教される始末で。ショックを受けつつ、とりあえず基礎的なことは勉強させたほうがいいと思って、もっとゆるい塾に入れました。
それでも中学受験ができるようなレベルではなくて、学校の成績にプラスアルファする程度。中学に入ってからも、「中の上」か「上の下」といった感じの子でした。
「治るのに3年」の起立性調節障害に衝撃
孝子:体調がおかしくなり始めたのは、中学2年生のころです。ちょうどコロナ禍で、休校になっていた時期でした。朝寝坊が増えてきていたことは事実なんですけど、私は全然気づかずにいました。
「クラクラする」と言うので、近所の内科に行くと、ただの風邪のような診断をされて、2〜3日休むと治る。それを繰り返していたんです。思春期だからそういうこともあるのかな、と軽く考えていました。本人も頑張り屋さんなので、頑張って学校に行っていたんです。
あとから振り返ると、3ヵ月くらいはそういう状態だったんだと思います。でも私の実感としては、ある日急に倒れて寝込んだという印象なんです。
中2の秋、たしか土日だったと思いますが、部活の選抜テストがある日に、私が無理やり起こして行かせたんです。そうしたら帰ってきて、「すごく疲れたから一回寝る」と言って、そこから2〜3日ずっと寝込むような状態になってしまって。
これはおかしい、となって、今度は小児科に連れて行きました。あとから知ったんですが、起立性調節障害は小児科の領域なんですね。だから小児科に行ったことで、病名がはっきりつきました。
診断が下りたとき、私にとって衝撃だったのは、起立性調節障害という病名そのものよりも、先生に「治るのに3年くらいかかる」と言われたことでした。中学・高校の3年間は、人生の方向性が決まる一番大事な時期だと、当時の私は思っていたんです。なのに先生は、「長い人生の、たった3年だから」というような言い方をされて。全く受け入れられませんでした。

































