【戦国プリンセス博士ちゃんママ】子どもの「好き」を伸ばす母親の“ある決断” 会社を手放し娘と旅に出たシングルマザーが語る「子育てで大切にしていること」

#2 “戦国プリンセス博士ちゃん”に学ぶ「好きなことの育み方」【母・奈穂さん編】 (2/3) 1ページ目に戻る

会社を経営しながら迎えた我が子

今では学業と並行して全国各地で歴史や防災イベントでの講演を行うなど、大忙しな諸星天音さん(以下:天音さん)ですが、「幼少期はとにかくマイペース。何をやるのもお友だちの中で一番最後でした」と母・奈穂さん。

「しゃべりだすのも立ち上がるのも遅かったのですが、気にせず彼女のペースでやってきました」

そう語る奈穂さんは当時、自身が設立した訪問介護事業所の代表取締役をしていました。会社経営の真っ只中で、とても多忙な日々だったのです。

瞬発力で起業! 従業員は徐々に増えて…

奈穂さんは起業前の20代中ごろまでは不動産会社の社員として営業にまわり、バリバリ仕事をこなしていました。しかしあるとき、無理がたたって倒れ、病院に搬送されることに。このときの入院がきっかけとなり、自身のキャリアを見直したといいます。

「私は何のために働いているのだろう、と。それでもっと直接的に人のためになる仕事がしたいと思い、ヘルパーの資格を取ったんです」

新たな勤め先でのヘルパーの仕事は、人生の先輩である高齢世代から学ぶことも多く、実りの多い日々でしたが、次第に「もっとこうしたいのに」という利用者への思いと、業務上の規則との狭間で上司と衝突することが増えていきました。

「毎日ケンカばかりで。それで短絡的ですが自分で会社を作ればいいんだと思ったんです。そうすれば規則や方針も自分で決められるので。何のコネもお金もなく一人で準備を始めました」と笑います。

「当時は怒りの瞬発力で起業できましたが、その勢いだけで長続きさせるのは難しいことで。修行の12年でしたが、人とのつながりの大切さを学びました」

起業後は自身もヘルパーとして活動していた奈穂さんでしたが、徐々に従業員が増え、会社の規模も大きくなり、業務も経営や管理を中心にシフトしていきました。

そして、天音さんを授かり、創業5年目の2009年に出産。

「私は未婚の母なのですが、仕事柄、職場には先輩の母親たちも多いので不安を感じることもなく、ただただ生まれてきてくれたことが嬉しかったです。会社でも皆さんが子どもを見てくれました」

母・奈穂さん(左)と幼少期の天音さん。  写真提供:諸星奈穂
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「未婚の母」=「大変」 これって本当?

産後ほどなく職場復帰し、仕事と育児をこなす奈穂さんでしたが、周囲からは「シングルマザー」「未婚の母」と伝えるとそれだけで「大変だね」と言われることが多々ありました。

「でも私自身は当時、会社も経営していたので経済的な不安はあまりなかったんです。両親や保育園のママ友、パパ友など、周囲のたくさんの人に子育てを手伝ってもらっていたのでシングルマザーだから特に大変という感覚はありませんでした」と振り返ります。

「世の中にはシングルマザーというと、『大変』『(子どもが)かわいそう』と決めつける面が根強くあります。でも、大変さは個々の家庭の状況やタイミングによりますよね。

『かわいそう』という言葉も、子どもが誰かに言われたら『私はかわいそうな子なんだ』って思い込んでしまうかもしれません。だけど本当にかわいそうかどうかは、その子自身が決めることじゃないかなと思っています」と奈穂さん。

「私たち親子は楽しんでやってます。シングルマザー親子も当たり前のように楽しい家族の形だと受けとめてくれる世の中になっていけばいいなと思っています」

経営者でも子どもとの時間は失いたくない その決断は

周囲の手助けを得ながら子育てする奈穂さんでしたが、それでも「経営」と「子育て」の両立は多忙の極みで、子どもと過ごす時間を生み出すことはどうしても難しい、という葛藤もありました。

産後すぐの1ヵ月間は自宅で仕事し、その後は赤ちゃん連れで出勤。職場で授乳しながら働く生活を送ると、4ヵ月目から保育園に。会社の従業員は、多いときでパートタイマーを含め70人になっていました。

「必死になって働いていました。でもどうしても娘との時間が少なくなってしまうんです」

小学校に上がるとさらに一緒にいる時間は少なくなってしまうと感じた奈穂さんは、その前に大きな行動に出ます。

「12年弱、経営してきた会社をM&Aで売却しました。それで保育園最後の1年間に、娘と国内外を旅したんです」

「娘と凝縮した時間を過ごそう」と、フィリピンで親子留学したり、アメリカやベトナムへ。写真は、ハワイ島のキラウエア火山の前で。  写真提供:諸星奈穂

会社と仕事を手放した母娘は…

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