孤独な小学生時代 お魚王子・鈴木香里武を救った外の世界と大人たち

岸壁幼魚採集家・鈴木香里武さんインタビュー#2【子ども時代編】

岸壁幼魚採集家:鈴木 香里武

穏やかで、耳に心地よい声も魅力の香里武さん。  撮影:嶋田礼奈(講談社写真部)

“令和のお魚王子”こと、鈴木香里武(すずき・かりぶ)さん。

岸壁幼魚採集家や「幼魚水族館」館長など、魚や海の魅力を伝えるべく多方面で活躍中の香里武さんですが、幼少期は意外にも人と話すのが苦手な少年だったといいます。

第2回は、そんな香里武さんの子ども時代、ご両親や恩師とのエピソードから、子育てのヒントを探ります。

※全4回の2回目(#1を読む

鈴木香里武(すずき・かりぶ)PROFILE
岸壁幼魚採集家、「株式会社カリブ・コラボレーション」代表取締役社長、「幼魚水族館」館長。子どものころから魚に親しみ、学習院大学大学院で観賞魚の印象や癒やし効果を研究した後、現在は北里大学大学院で稚魚の生活史を研究。メディアやイベントへの出演、執筆をはじめ、海や魚の魅力を伝えるさまざまな活動を行っている。

両親が教えてくれた「働くことは楽しいこと」

──香里武さんから見て、ご両親はどんな方でしょうか?

鈴木香里武さん(以下、香里武さん) 父はラジオ番組やテレビ番組のプロデューサー、母はラジオ番組のアシスタントを経て、作詞家として活動しています。

そうした業界にいることもあり、ふたりともずっとクリエイティブな気持ちを持ち続けているなと思います。仕事でもプライベートでも楽しそうでしたね。

家で仕事のグチを言うお父さんって多いと思うんですが、父からは聞いたことがなく、いつも今日いかに楽しいことがあったかを話してくれました。

タレントさんを含め、たくさんの人と一緒に番組を作るワクワク感や熱量みたいなものを、そのまま僕にも伝えてくれたので「働くこと=楽しいこと」というイメージは、子どものころに自然と植え付けられましたね。

職場にもよく連れていってくれて、楽しく働く姿を見せてもらいましたし、いろいろな人にも引き合わせてくれて、両親には感謝しています。

──素晴らしいご両親ですね。香里武さん自身は、どんな子どもでしたか?

香里武さん マイペースで頑固者、でしょうか。学校でも周りに溶け込めない人間で、人見知りで順応性もなく、両親には心配をかけたと思います。

ただ、心配しつつも、僕が好きでやっていることは、いつもおもしろがって見守ってくれていましたね。

幼少のころから両親との関係性は変わっていなくて、今も海に行くときは3人なんです。岸壁幼魚採集って、ひとりでやるのは難しくて、誰よりも頼りになる助っ人は両親。

そもそも海や漁港の楽しさを教えてくれたのは、両親ですからね。親子というより、“チーム”という感覚に近いかもしれないです。

──子どものころ、勉強についてのルールはありましたか?

香里武さん 母から「勉強しなさい」と言われたことは、一度もなかったです。僕は興味があれば言われなくてもやるし、そもそも勉強があまり好きではないので、興味がなければやりません(笑)。

魚に関してもそうで、捕まえたり観察したりするのと違って、図鑑で勉強するのは実は苦手なんです。

それに、家に帰ったら魚のお世話もしたいし、大好きな工作をしたり、昆虫を捕りに行ったり、やりたいことがいっぱいあったので、勉強はしたくない。だからその分、授業はマジメに受けて、授業内容をすべて覚えることに徹しました。

後ろの席だとやる気をなくしてしまうので、必ず先生の目の前の席に。「視力が悪いから」と言えば、みんな喜んで席を替わってくれましたね(笑)。

5歳のころの香里武さんとご両親。お母さまは『おかあさんといっしょ』や『いないいないばあっ!』(NHK Eテレ)などで幼児向けの歌の歌詞を手掛ける作詞家のすずきかなこさん。  写真提供:鈴木香里武

大人とつながりを持つことで人見知りを克服

──子ども時代は人見知りだったとおっしゃいましたが、メディアなどでお話しされている姿を見ると、とてもそんなふうには感じませんね。

香里武さん たぶん克服したんでしょうね。僕が行動を起こすときは、すべて“苦手”から入っているんです。言語化するのが苦手で、思っていることはたくさんあるのに、うまく伝えることができない。

何とか克服しなければと、小学生のときに〈こざかなクン〉と書いた自分の名刺を作り、自宅の電話番号を書いて会う人会う人に渡しました。

すると、小学生相手でも大人がちゃんと名刺をくれたんですね。名刺をゲットしては、「お話を聞きたいのですが……」と連絡して、会いに行きました。そうやって周りの大人に声をかけまくっていたら、だんだんおもしろくなってきて。

たくさんの方とつながりが持てるようになった15歳のとき、多分野スペシャリスト集団「カリブ会」を立ち上げました。これが、大学1年で起業した「株式会社カリブ・コラボレーション」のベースになっています。

今、カリブ会には200人ぐらいの方がいますが、輝いて見える大人ばかり。みなさん、憧れの師匠です。

──ものすごい行動力! 特に思い出深い師匠とのエピソードを教えてください。

香里武さん そうですね、なんせ師匠が200人以上いますから悩んでしまいますが……ひとり挙げるなら、2022年にオープンした「幼魚水族館」を作るきっかけをいただいた方でもある、石垣幸二さんでしょうか。

さかなクンと同じころに出会い、僕が長らく師匠と呼んでいる方で、世界中の水族館に観賞魚を届けるサプライヤーです。魚のプロなので、もちろん魚の知識も教えていただいたのですが、生きざまの師匠でもあります。

印象に残っているのは、大学1年で会社を作ったときのこと。いちばんに報告したのが、石垣さんでした。そこで最初に言われた言葉が「よかった。これで、香里武とようやく一緒に仕事ができる」。ハッとしました。

それまでも石垣さんがプロデュースする水族館の手伝いをさせていただいたことはあったのですが、高校生でしたし、あくまでもイチお手伝い。何気なくおっしゃった言葉だと思うのですが、憧れの人から“ビジネスパートナー”として認めてもらったんだなと、うれしくなりました。

石垣さんを含め、カリブ会の方々はみなさん、“大人対子ども”という上からではなく、対等の“人間対人間”として接してくれました。

両親も同じで、「大人だから」「子どもだから」などとレッテルを貼ることなく、さまざまな経験をさせてくれたことには感謝しかないですね。

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