両親の不仲が当たり前だった幼少期
幼いころ、私は父と母、そして4歳下の妹と暮らしていました。私の記憶の中で、両親はいつも不仲でした。物心ついたころから、ことあるごとに言い争うふたりを見るのが当たり前の日常だったのです。
ときには、逆上した父が母に手を上げることもあり、家族はみな、父を怒らせないよう神経を尖らせていました。父はお金にもルーズで、借金をしては母に問いただされるたびに噓をつく人でした。私は父のことを信用できず、どこか軽蔑した目で見ていたと思います。
深夜、父が母の前で包丁を握っていた
小学6年生のときのこと。ある夜、自分の部屋で寝ていた私は、花瓶の割れる音と妹の泣き声で目を覚ましました。私は布団から飛び出し、妹の声が聞こえるリビングへ向かうと、父が包丁を握ったまま母の前に立っていて──。
「刺すぞ」
父が母に包丁を突きつけると、母はその場に立ち尽くしました。4歳下の妹は、その様子を見て泣いていました。私は父と母のあいだに入り、「やめて」と声を上げました。
私の必死な姿に、父は少し落ち着きを取り戻したようで、手にしていた包丁をテーブルに置くと、自分の部屋へ戻っていきました。私も部屋へ戻りましたが、恐怖で震えが止まらず、朝まで眠ることができませんでした。
家の中が静まり返ったあと、私は「父がまた家族に包丁を向けるのではないか」と怖くなり、台所にある包丁をすべて集め、自分の部屋のクローゼットに隠したのです。
この出来事をきっかけに、私は「もう父とは一緒に暮らしたくない」と思うようになりました。そして、母には早く父と別れてほしいと願うようにもなりました。
小学6年生の私に突きつけられた選択
当時、私は小学校の卒業を控えていました。卒業式が近づいたある日、母から「あなたが小学校を卒業したら、パパと離婚しようと思う」と聞かされました。
母の話を聞いたとき、両親が離婚することに悲しみがなかったわけではありません。けれどそれ以上に、父の暴力や噓に怯える生活が終わるかもしれないことに安堵しました。これからは母と妹と3人で、安心して暮らせるかもしれない、という期待が膨らんだのです。ところが、母は続けてこう言いました。
「妹はママと暮らすことになるけど、あなたはパパかママ、どちらと暮らすか選んでいいからね」
私は、言葉の意味をすぐにはのみ込めませんでした。自分も当然、母と一緒に暮らすものだと思っていたからです。
どうして私は選ばれる側ではなく、選ぶ側なのだろう。私と妹ふたりを連れていくのは、お金の面で難しいということなのか。姉の私より、妹のほうが大事なのか。次々に疑問が頭の中を駆け巡りました。
両親の離婚そのものよりも、「どちらと暮らすか選んでいい」と言われたことのほうが、私にはひどく残酷に感じられました。 私はその言葉を、「母に選ばれなかった」「私は必要とされていない」という意味だと受け取ったのです。
でも当時の私は、母に真意を聞くことができませんでした。もし本当に「あなたは一緒に来なくてもいい」という意味だったら……そう考えるのが怖かったからです。

































