両親の離婚で母は「どちらと暮らすか選んで」 小6で抱えた絶望と母の日に知った真実

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私は「選ばれなかった娘」

当時の母はパート勤めで、娘ふたりを育てるだけの余裕がないことを、子どもながらに私も察していました。だから「ママについていきたい」と言えば、母を困らせてしまうのではないかと遠慮していたのです。

母と離れたくなかったのが、私の本当の気持ち。でも「一緒に行きたい」と母に伝えて、もし断られたらと思うと怖くて、正直な気持ちを言葉にすることができませんでした。しかも経済的な理由ではなく、「あなたは一緒に来なくてもいい」という意味だったら……そう考えると、ますます本音は言えなくなりました。

考えた末、私は「妹と離れるのが嫌だから、私もママについていく」と伝えました。

本当の理由は、「ママが大好きだから」「ママと暮らしたいから」でした。にもかかわらず妹を理由にしたのは、もし母に拒まれても、自分自身を否定されたと思わずに済むよう、子どもなりに心を守ろうとしていたのだと思います。

私の言葉を聞いた母は、ただ「わかった」とだけ言いました。

このやりとりをきっかけに、私は「自分は無理を言って、母についていかせてもらったのだ」と思い込むようになりました。そして、これ以上母に負担をかけてはいけないと考えるようになったのです。いつしか、「いかに母を困らせずに済むか」が、私の行動のすべての判断基準になっていきました。

学生時代は、早く自立しなければという思いから、アルバイトに明け暮れました。金銭的にも精神的にも母の手を煩わせない、「聞き分けのいい子」でいようとしていたのだと思います。自分の感情を抑えて過ごした結果、反抗期らしい反抗期を過ごした記憶もありません。

「あなたが選んでいいからね」に込められていた母の思い

「母に選ばれなかった」という記憶と、母に負担をかけまいとしてきた思いを抱えたまま、私は大人になり、自分自身も母になりました。わが子が向けてくれる愛情に触れるうちに、「私は選ばれなかった娘だったのだ」という痛みを、以前ほど強く意識することはなくなっていきました。

けれど、「なぜ母は私に、選んでいいと言ったのだろう?」という疑問は、長いあいだ消えずにいました。母にそのことを初めて打ち明けたのは、数年前の母の日のことです。 家族で集まった食事の席で、私は思い切って母に聞いてみました。

「ねえ、お父さんと離婚を決めたとき、どうして私に『どっちについていくか選んでいい』って言ったの? 私は、お母さんにとっていらない子なんだって思って、すごくショックだったんだよ」

思いがけない私の言葉に、食事をしていた母の手が止まりました。驚いたような顔をしたあと、母は静かに話し始めました。

「そんなふうに思わせていたなんて、知らなかった。妹はまだ小さかったけれど、あなたはもう小学6年生で、しっかりしていたでしょう。だから、親の都合で無理に連れていくより、自分で決めさせたほうがいいと思ったの」

母は、自分に言い聞かせるように続けます。

「もちろん、あなたのことも連れていきたかった。でも当時の私は、あなたに選択させることがあなたを大切にすることだと思っていたのよ」

少し間を置いて、母はさらにこう言いました。

「あなたが小学6年生のとき、パパが怒って包丁を持ち出したことがあったでしょう。あなたが私をかばうように間に入ってくれたよね。その姿を見て、離婚を決めたのよ」

母の言葉を聞いて、私はただ、もっと早く母の本音を聞けばよかったと思いました。母は私を手放そうとしていたのではなく、私を守るために離婚を決意し、私を尊重しようとしてくれていたのだと、20年越しに初めてわかったからです。

自分が親になって知った「母の本音」

選ばれなかったのではなかった?
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