世界的登山家・田部井淳子を悩ませた我が子の問題行動「あの田部井さんの息子」と呼ばれて

世界的登山家・田部井淳子の子育て【1/3】~反抗の始まり~

フリーライター:浜田 奈美

高校の進学テストにも現れず…

進也さんは小学校を卒業すると、自分の希望で自宅のある埼玉県川越市から離れ、都内の中高一貫校に進みました。

入学から数週間ほど、「田部井淳子の息子」という文脈から離れた自由な時間が続きましたが、やはりどうしても「あの田部井淳子の」という情報は、学校関係者に伝わってしまうものです。

地元の川越で浴び続けたものと同じ視線を学内で感じ始めた進也さんは、その視線を受けて、敵対的な気持ちを隠せずにいました。そのため「田部井進也は反抗的」ととらえた教員もいたようです。

中学から高校に進学する「内部進学テスト」当日。午前中が筆記試験、午後が面接試験の予定でしたが、進也さんは昼食後、学校の近くの公園で仲間とサボっていたところを高校の教員に見つかり、面接試験は受けさせてもらえませんでした。

翌日、ほかの生徒はディズニーランドに遠足に行っていましたが、進也さんは「居残り」にされました。田部井さんと一緒に学校側に謝罪し、教室で反省文を書き続けたそうです。

田部井さん自身は、進也さんの素行の要因が、ひとり歩きする自分の知名度にあることを、よくわかっていました。そのため政伸さんに「自分が登山を辞めたら、進也の気持ちは楽になるだろうか」とこぼしたこともあったそうです。

「かみさん(注:淳子さん)も、自分が原因だとわかっていたからね。でもすぐに『それは違うよね』と打ち消してました。

子どもには、他人を傷つけない範囲で好きなことをやって生きてもらいたいという思いがありましたから、自分たちが大好きな登山を辞める選択肢は、まずありませんでした」

進也さんがいらだちを爆発させ、自宅で暴れたこともたびたびありました。自宅には、当時の進也さんが暴れに暴れ、自分の部屋の壁にあけた穴が、そのまま残されています。

2000年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『親子で向き合うふたり旅』では、この「壁の穴」まで包み隠さず放送されたことで、田部井家の「親子関係」は、広く知られることになりました。

「かみさん、あの番組の打ち合わせで、『ありのままを映してください』ってはっきり言ってましたから。きれいにつくろうんじゃなくて、田部井家の現実を伝えることで、何かの役に立つこともあるかもしれないからって。さすがかみさん、度胸あるなあと」。政伸さんも苦笑します。

苦悩する進也さんの成長を見守り続けた田部井さん夫婦でしたが、あるとき、田部井さんが取り乱す「事件」が起きました。進也さんが、留年したため「2回目」の高校1年生生活をほぼ終えた春のことでした。

現在の田部井進也さん。「東北の高校生の富士登山」プロジェクトリーダーとして奮闘している。  ©一般社団法人田部井淳子基金
すべての画像を見る(全6枚)

母・田部井さんが学校に本気で怒った! そのワケとは?

27 件