がんの宣告を受け「ああ、来たか」と思った
特にショックはなく、「ああ、来たか」と思いました。「なんで私に限って…」とは思いましたが、涙一粒こぼすこともなく、妙に冷静だったことを覚えています。
私は常に最悪の事態を想定して備えておくタイプ。偶然にもがんが発覚する1年前、たまたまがん保険に加入していたから、お金のことでも慌てふためくこともなく、「そっかあ。じゃあどうやってこれから治療をしていこうかな」と頭を切り替えていました。
むしろ、動揺していたのは周りのほう。ちょうどその頃、父(栗原玲児さん)も肺がんの闘病中で余命宣告をされていました。夫と弟(料理家の栗原心平さん)に今後の事を話した後、父にも伝え、母(料理家の栗原はるみさん)には治療プランが全て決まった後、事後報告でバーッと伝えました。予想通り、母には泣かれました。友達にも泣かれました。
夫もすごく動揺していました。がんになると、夫とどう連携するかを考える人も多いでしょう。でも我が家の場合、夫と連携を取ることは難しかったのです。
鮮魚店で働く夫は、夜中に家を出て夕方からやっと寝るというサイクル。生活時間帯が全く違うので、私のことはもちろん、娘のケアですらどうにもお願いできない。だから娘と二人三脚で乗り越えようと思いました。
ただ、経済面では救われました。がん治療はがん保険でおりる保険金だけではカバーできないほどお金がかかります。
例えばどうにも具合が悪い時、通院のためにタクシーを利用すると往復7000円近く、ごはんを作るのが辛い時はUber Eats(ウーバーイーツ=フードデリバリーサービス)を頼むなど、細かい出費が積もり積もって、大きな出費になるんです。夫が仕事をして生活を支えてくれたおかげで、私は治療に専念できたと思っています。
検査を進めるうちに、どうやら再発しやすい悪性度の高いがんだということが分かりました。さらに、念のため受けた遺伝子検査で、がんになりやすい遺伝子を持っている可能性も発覚。そこで、予防切除もあわせて両乳房の全摘手術をし、悩んだ末、転移を防ぐために抗がん剤治療も受けました。
2020年には、2回目の胸の再建手術とともに、今度は卵巣と卵管を摘出しました。すべて、がんの予防切除です。私にはまだまだやりたいことがある。生きるために、がんの可能性が少しでもあるなら、思い切って摘出した方がいいと自分で判断したんです。
闘病中は4歳の娘が心の支えに
がんが発覚した2019年当時、娘は4歳。保育園の年中です。病気を娘にどう伝えるかは私の中で大きな課題でした。
病院はそんな私に、臨床心理士をすみやかに紹介してくれました。娘への伝え方や、心のケアをどうするか、手厚く指導してくれ、とても助かりましたよ。
私の中で、娘に病気のことを伝えないという選択肢はありませんでした。後日、臨床心理士から「特に物心がついている子どもは、隠された状態で母の病気が発覚したとき、『自分が悪い子だったからママが病気になったんだ』と自分を責めてしまうことがある」と聞いて、つくづく言ってよかったなと思います。
では、どう伝えるか。子どもの年齢によって適切な伝え方は変わってくるそうですが、4歳の子にとっては「がん」という言葉自体、音の響きが怖い。だから、「がん」という言葉を使わなくて済むよう、がんという病気を好きな物語の悪者にたとえるといいとアドバイスしてもらいました。
そこで私は娘に、人気アニメに出てくる悪役のキャラクター『X』を使って説明しました。
「今、ママの体の中には『X』の妹みたいな悪者がいるんだ。その子がママのおっぱいに悪さをしているから、ちょっと退治しに行ってくる」
娘は「ママ、かわいそう」と言って泣き出しましたが、すぐに「応援するね」と気持ちを切り替えてくれました。以降、娘は私の身の回りをサポートしてくれました。洗い物にゴミ出し、そして抗がん剤治療中は足をさすってくれましたし、近所の神社に「ママの病気が早くよくなりますように」とお詣りも。本当にうれしかったですね。
娘がどこまで病気のことを理解しているかは分かりません。ただ、娘の周りには、保育園の園長のA先生、担任のB先生、ママ友のCちゃんママにしか、がんの罹患を報告していなかったので、こう伝えました。
「ママの病気のお話しをしたくなったら、A先生とB先生とCちゃんママだったら話していいよ」
こういう言い方をすると、不思議と本当にその通りにするんです。逆に「誰にも言っちゃダメだよ」と口止めをするとかえって、不用意に口を滑らせてしまう。これも臨床心理士に教えてもらいました。
ママ友にもがんをカミングアウトし助けてもらった
娘はとても私の支えになりましたが、闘病中の私は娘の世話を満足にできません。そんな時、どうするか。
実家の支援を思い浮かべる人は多いでしょう。でも、私の場合は実家も頼れない。母(料理家の栗原はるみさん)は近所に住んでいましたが、私のがんが発覚した頃は、肺がんで闘病中だった父は余命宣告を受けていました。もともと仕事が忙しいうえ、父の看病につきっきりの母。孫のサポートを頼める余地はとてもありませんでした。
そこで頼ったのが、京都に住む大親友。年の近い子どもがいて、本人同士も大の仲良しだったこともあり、快くOKしてくれました。急いで友人の娘が通う保育園に、私の娘も一時利用する手続きを取り、1ヵ月間、友人の家に娘を託して、京都の保育園に通園させました。
結果、大正解。治療中は、無理できないほど体が辛かったし、娘もお友達と1ヵ月間過ごせてうれしかったみたい。とはいえ、毎日一緒にいた母子が離れるのはやっぱりさみしい。毎日iPadの「FaceTime」(ビデオ通話)で顔を見ながらその日あったことなどを話していました。
手術を経て退院し、再び東京の家で娘と暮らすようになってからは、保育園のママ友たちに助けを求めることに。もともと彼女たちとは月に1回くらいの頻度で集まってごはんを食べたりする仲。すでに気心も知れているので、近所の中華料理店で食事をしている最中に、こう切り出しました。
「実は私、がんになっちゃって。もう手術も終わっているんだけど、この後、抗がん剤の治療も受けるから、多分具合が悪い日が続くと思う。もし本当に具合が悪くて動けない時、助けてほしい」
ストレートにお願いしたら、本当に助けてくれた。
娘の保育園の送迎を始め、近所のお祭りやワークショップに娘を連れて行ってくれたり、ごはんを食べに連れていってくれたり。おかげで娘は、「ママの具合が悪いから遊べない」という状況に陥らずにすみました。娘の環境が変わらないように、みんなが取り計らってくれたから。本当に感謝しかありません。
がんに罹患したことを自分の子どもや周囲の人に打ち明けるかどうか、悩む人もいるかもしれませんね。でも、病気のことを知っていてくれる人がいるだけでも気持ちがラクになると感じました。
それに、「というわけで、みんな検診には行った方がいいよ」ということも同世代の女性たちに伝えたかった。「こんなにつらい思いを他の人に味わってほしくないから、みんなには伝えたい」という気持ちが自然と湧き上がってきたんです。実際、その中で何人かは検診に行ってくれて、うれしかったなあ。