ようやく不登校の半年間から抜け出せる
息子が不登校になったのは小学4年生のとき。きっかけは友だち関係のトラブルでした。朝「おなかが痛い」と訴える日が続き、学校を休むようになったのです。
最初のうちは、私が送迎すればなんとか登校できる状態。けれど、次第に学校への不安が強まり、夜も眠れなくなっていきました。寝る時間が遅くなることで朝は起きられず、登校できない日が少しずつ増えていきました。そのまま学校にいけなくなり、気づけば半年が過ぎていたのです。
息子の不登校に、はじめて小さな変化の兆しが見えたのは、5年生への進級のタイミングでした。
学校から「そろそろ来てみませんか」と声をかけてもらったとき、息子は少し考えたあと、「行ってみようかな」とつぶやいたのです。その言葉を聞いたとき、ようやくこの辛い半年から抜け出せるのかもしれないと嬉しかったことを覚えています。
再登校を目前に、できるだけ息子が登校しやすい体制を整えようと学校と面談を実施することになりました。面談の場に同席してくれたのは、校長先生、新しい担任の先生、そしてスクールカウンセラーさん。
そこで学校から提案されたのが、私が息子に付き添い登校する「母子登校」でした。
母子登校は不登校の終わり …のはずだった
再登校にあたり、先生方がいちばん気にかけていたのは、息子の不安感の強さでした。
半年間学校を休むなかで、息子の体調や気持ちは少しずつ落ち着いてきていました。とはいえ、いきなり教室に戻るのは負担が大きい。先生からは、「まずは学校という場所に慣れることから始めましょう」と提案されました。
そして、「お母さんがそばにいると安心できるなら、最初は付き添い登校でもいいと思います」と言われたのです。息子はもともと私のそばにいると安心する子でした。
最初のうちは親が付き添い、登校に慣れてきたら、少しずつ親はフェードアウトしていく──そういう形を想定しているという説明を受けました。
母子登校という形があることを、私は初めて知りましたが、「息子が再び学校に通える一歩になるなら」と、とくに疑問に思うことなく受け入れることにしたのです。
「付き添いでの登校と言っても、せいぜい最初の1週間くらいだろう」と気軽に捉えていました。今思えば、母子登校というものへの想像が及んでいなかったのだと思います。
そして、そこから数ヵ月におよぶ地獄のような毎日が始まったのでした。
私たちを待っていたクラスメイトの洗礼
久しぶりの登校に、息子は強い緊張を感じていました。私が隣にいるとはいえ、半年ぶりの学校です。すぐに教室へ入ることはできず、教室から少し離れた廊下で、入るタイミングをじっと見計らっていました。
廊下を通る子どもたちの中には、保護者同伴で登校している私たちを不思議そうに見る子もいました。その視線に気づくたび、息子の体が少しこわばるのがわかりました。
5年生になり、担任の先生は変わり、クラスメイトの顔ぶれも変わっていました。クラスメイトたちは、久しぶりに登校した息子に興味津々。息子に「なんで休んでたの?」「家にいる間、何してたの?」など、次々に声を掛けてきます。
クラスメイトに声を掛けられ嬉しいかと思いきや、当の息子は、どう返事をしていいかわからずに固まってしまいました。10分、20分と時間が経っても、息子が教室に入る素振りはありません。
しばらくすると、今度は廊下にたたずむ息子をチラチラ見ながら、クラスメイトが小声で話す様子が目に入りました。
「なぜ教室に入らないのか」「なぜ母親が一緒なのか」
彼らに悪意があるわけではないことはわかっていましたが、明らかに自分のことを言われていることは、息子も理解していたと思います。徐々に息子の表情が曇っていく様子を、私はただ横で見ていることしかできませんでした。
そんな息子に、担任の先生から「机を廊下に置きましょうか」との提案がありました。息子の学校はオープンスクール形式で、教室に壁やドアがありません。そのため教室のすぐ外に机を移動してもらい、そこで過ごすことになったのです。
初日の授業では、息子は何かに取り組むことも、発言することもできませんでした。ただ席に座り、時間が過ぎるのを待つだけで精一杯だったのだと思います。
帰り道、息子は終始、落ち込んでいる様子でした。学校に行くと言ったのは自分なのに、教室にさえ入れない自分が不甲斐なく、出鼻をくじかれてしまった気がしていたのかもしれません。
帰宅してからも落ち着きがなく、些細なことで苛立っているようにも見えました。母子登校初日は、私が想像していたような明るいスタートにはならなかったのです。
















































































