不登校から公立大医学部合格! 「不登校の経験があったから子も母も“生き方”が見つかった」〔元野球少年の実話〕

不登校から小児精神科医を目指すまで 母親インタビュー第5回「医学部合格と不登校の価値」/全6回 (2/3) 1ページ目に戻る

教育ジャーナリスト:おおたとしまさ

おおたとしまささん(以下おおた):見事、公立大の医学部に合格しましたね。中学校には1年しか通わず、定時制高校のしかも夜間部に籍を置き、浪人の1年以外は塾も利用せず、ほとんど手さぐりの試行錯誤の末につかんだ合格でした。

倉孝子さん(以下孝子):息子・俊徳(としのり)も不登校になって得られたものは、やっぱりそういうことだ、と言っていました。学校に行っていれば「これをやっておけ」と言われて、それをやる。でも、行っていないと、それを自分でやらなきゃいけない。

だから、常に自分で考えて、自分で選択するのが、自然とできるようになった、と。それが、みんな気づいていないけれど、力なんだ、と。

おおた:本当ですよね。どこの学校も「自分で考えて自分で選択できる人間を育てる」と言いながら、「はい、これやりなさい」と言いますからね。塾にも頼らずに自分で参考書をやって、おそらくすごく試行錯誤して、回り道もしたんだと思います。

無駄なこともたくさんやったと思いますが、その中で「これが自分の学び方なんだ」というのを見つけたのはものすごい財産です。塾に行って「こうやって勉強するのが効率いいんだぞ」と教えられて終わるのとは全然違いますよ。

みんながみんな同じ状況で自分でやり方を見つけられるかというと、多少の手助けがないと自分で漕いでいけない子もいるかもしれません。

だから、放っておけば自分でやるんだとは一概には言えないなと思いつつも、そういう状況になったのであれば、その中で得られるものを得るという意味で、息子さんは自分で考えて自分で選択するということに真正面から向き合ったのでしょう。

自分で納得しながら一つ一つ選んでいったことが、結局は急がば回れで、自分なりの生き方を見つけたということだと思います。

孝子:そう思います。生き方だなと私も思いました。

学校ではない視点を持てたことが「生きる強み」に

おおた:逆にいえば、その自分なりの生き方を見つける機会を、今の学校制度や教育制度がいかに奪ってしまっているかということです。

孝子:与えられてしまいますからね。

おおた:本当にその子のために、将来のために必要な分以上のものを与えてしまう、過剰に与えられる状況になってしまっている。

だからこそ、むしろ必要なのは余白であって、ちゃんと見守りつつも、回り道する余裕、遊びがあるくらいのほうが、本当は自分の生き方のようなことを見つけるうえでは急がば回れなんだと思います。どうしても過干渉になってしまっている社会があるのでしょうね。

孝子:不登校というのは、今振り返ると、親も子も生き方を見つける時間だなと思っています。

おおた:社会というものが、学校を出ることを前提にした価値観の上に立ってしまっています。学校制度の中で植え付けられる社会観や人生観を、ほぼ全員が持ってしまっているということです。

しかし、その社会のなれの果てが、異常気象であり、極端な貧富の差であり、大規模戦争です。そういうときに、そうではない生き方を我々人類は見つけていかなければいけない。

学校ではないところから世の中を見てみることによって、違う生き方が見えてくるというのは当然あることだろうと思います。

不登校を経験したことによって生き方が見えてくるというのは、学校である種の思い込みをインストールされなかったことによって、あるいはそれを引き抜かれることによって、元々あったはずの生き方に気づけるようになるということだと思います。

孝子:息子も同じようなことを言っていました。そういう視点を持てたことが、医者としても、それ以外のところでも、あらゆることに生きてくると思う、と。その視点を持てたことが強みだと言っていました。

おおた:学校というところに毎日通い、その価値観こそが社会での正解なんだと刷り込まれた人たちが社会を作ってしまっている。それを当たり前だと思い込んでいる歪みに、制度の外に出ることによって気づけるわけです。

不登校というと「今の学校はダメなんだ」という話に矮小化されがちですが、学校だけの話ではない。むしろ、学校はどうせポンコツだという前提で、学校がポンコツであっても子どもたちが生き生きしていられるような社会を作るにはどうしたらいいか、というふうに本当は目を向けなければいけない。

今回、息子さんの場合は、従来的なレールでも“勝ち組”と言われるようなところに最終的に乗っかったから、わかりやすいですよね。「ああ、よかったね」と。従来の価値観を持っている人たちからしても「よかったね」と言われるわけです。

孝子:そうですね、わかりやすいなと思います。

おおた:学校に行けないというそれだけで「社会に適応できない」と決めつけてしまう社会はある意味「不登校差別」ですよね。

今回の話は、そこへの痛烈なカウンターパンチだと思います。だけど俊徳さんの物語が結局 “従来の価値観の中での正解”みたいなことに還元されちゃいけないなと思っていて。

俊徳さんが、不登校の長く苦しい時期を経て、それを孝子さんがオロオロしながら見守って、ようやく自分の生き方を見つけたという話であって。

それが医者ではなくて、ラッパーでももちろん良かったわけで。「学校に通っていなくても学校制度の中での“勝ち組”になれる」みたいには思ってほしくない。

孝子:そうなんです。本当にそう思っています。

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