モンテッソーリ教師が絶賛『窓ぎわのトットちゃん』ママの非凡な子育て
『窓ぎわのトットちゃん』をモンテッソーリ教育の視点で考える #02
2022.02.11
モンテッソーリで子育て支援 エンジェルズハウス研究所所長:田中 昌子
黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』はモンテッソーリそのもの、と語る田中昌子先生。連載2回目は、トットちゃんのママとモンテッソーリに共通する「子どもに向き合うスタンス」についてです。子どもが嘘をついたとき、お行儀よくしていられないとき、習い事をしたがったとき……いま、リアルに参考になります!
(全3回の2回。#1を読む)
黒柳徹子さんがご自身でもあとがきに書いていらっしゃいますが、『窓ぎわのトットちゃん』で何より素晴らしいのは、トットちゃんのママの対応です。
普通のママだったら、絶対にこうはいかないでしょう、と思うところが多々ありますが、実はそれもモンテッソーリの理念に合致している部分が多くあるのです。
話すことの重要性
トモエ学園の校長先生が4時間もトットちゃんの話を聞いてくださったというのも、本当にすごいことですが、トットちゃんのママも、おしゃべりが止まらないトットちゃんに対して、こんなふうに捉えています。
“(でも、こんなに話すことがたくさんあるってことは、有難いこと)と、ママは、心から、うれしく思っていた。”
(『窓ぎわのトットちゃん』より)
ママたちから受けるご相談の中には、おしゃべりがうるさい、どうやって黙らせたらよいのでしょうか?といったものもよくあります。それに対して私はモンテッソーリの言葉を紹介しています。
”世の中に最も困難なことの一つは小さい子を黙っていさせることです。そして子どもが歩くのや話すのを妨げられていれば、正常に発育することはできないでしょう。発育の阻止は苦痛です。”
(『子どもの心ー吸収する心ー』〈マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳 国土社〉p99より)
「言語は人間相互を繋ぐきずな」として、モンテッソーリ教育では、とても重要視されている分野でもあります。
また、難しい言葉についての受け止め方も同じです。
“等々力渓谷飯盒炊爨(トドロキケイコクハンゴウスイサン)”という言葉をトットちゃんが、玄関でママに叫んだとき、
“(それにしても)
とママは思った。
(こんな難しい言葉を、よく憶えること。子供というのは、自分に興味のある事なら、しっかり、憶えるものなのね)”
(『窓ぎわのトットちゃん』より)
とおっしゃっています。大人は、子どもには赤ちゃん言葉で話しかけたり、なるべく簡単な言葉で伝えてあげたりすることが、親切だと思ってしまいますが、マリア・モンテッソーリはこのように述べています。
“子どもが言葉を知ろうという欲望はこの年齢では飽くことを知らないものがあり、またその包容力は尽きません。(略)学術語は3歳から6歳までに教えるのが最もよいとわれわれは結論しました。”
(『子どもの心ー吸収する心ー』〈マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳 国土社〉 p186より)
私も子どもたちにが難しい言葉をいとも簡単に吸収してしまうことに、いつも驚きを覚えます。
肯定的な子どもの見方
おしゃべりもそうですが、トットちゃんのママは、トットちゃんをいつも肯定的に捉えています。
ママの好きな洋服を鉄条網をくぐってビリビリに破いてしまい、ナイフを投げられたからという嘘をついたトットちゃんに対して、
“すぐ嘘とわかった。でも、なんとなく、トットちゃんにしては、いいわけをするなんて、いつもと違うから、きっと洋服のことを気にしてるに違いない、と考え、(いい子だわ)と思った。”
(『窓ぎわのトットちゃん』より)
とありますが、これはなかなかできないことです。
普通ならまず、毎日洋服を破ってくる子どもを咎めずにはいられないでしょう。さらに、嘘や言い訳は「絶対にいけません!」と頭ごなしに叱ってしまうのが一般的です。
マリア・モンテッソーリも子どもに対して、とても肯定的な見方をしていました。
マリア・モンテッソーリが最初に出会った子どもたちは、施設に収容されていました。パン屑を拾ってこねまわす子どもたちを見て、管理していた大人たちは「あさましい」「いやしい」と軽蔑しましたが、マリア・モンテッソーリは子どもたちには、手を使いたいという欲求があると捉えたことが、この教育法を確立する原点となりました。
トットちゃんのママはさらに、パンツまで裂けるトットちゃんの遊びについても、
“(それにしても、大人なら、疲れるだけで、なにが面白いか、と思えるこういうことが、子供にとっては、本当に楽しいことなんだから、なんて、うらやましいこと……)。ママは、髪の毛は勿論、爪や耳の中まで泥だらけのトットちゃんを見ながら思った。”
(『窓ぎわのトットちゃん』より)
と理解を示していますが、普通の大人は子どものこうした行為を無駄なこと、意味のないことと捉え、やめさせようと必死になります。
でも、マリア・モンテッソーリは、「子どもは動きながら学ぶ」と考えていました。子どもは何か他の目的のために動くのではなく、活動すること自体に目的があります。
“子どもの成長のためのこの生命力は子どもを刺激し、多くの行動を行なわせ、妨げられないで正常に成長することが許されれば、『生活の喜び』といわれるものに自分を当てはめます。子どもはいつも感激し、いつもしあわせです。”
(『子どもの心ー吸収する心ー』〈マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳 国土社〉 p94より)
ママの理解があって、トットちゃんはいつも制止されることなく動きまわることができたので、本当に幸せな日々を過ごせたのですね。
子どもを尊重する
大人は子どもに対して、指示命令を出すことが多いものです。むしろそれが大人の役割だと思っているほどですが、トットちゃんのママは違います。
トットちゃんがダンスを習いたいと思うと、すぐにそれが叶うように動いてくれます。
“ママは、「何々をしなさい」とかは、決していわなかったけど、トットちゃんが「何々をしたい」というと「いいわよ」といって、別に、いろいろ聞かずに、子供では出来ない手つづきといった事を、かわりにやってくれるのだった。”
(『窓ぎわのトットちゃん』より)
このように、さらっと書いていらっしゃいますが、普通のお母さんは逆のことばかりします。朝から晩まで、「何々しなさい」のオンパレード。「着替えなさい」「食べなさい」「宿題しなさい」……。
お稽古事についても、「ピアノを習わせたい」「テニスをさせたい」という親の希望から始まることが多いようです。
たまに子どもが「これやりたい」と言ったときにも、「勉強がおろそかになるからダメ」と異を唱えたり、「始めるなら絶対にやめないのよ。」と約束させたりしがちです。
これは、子どもよりも大人が偉い、大人の言うことには間違いがない、という意識が根底にあるからです。
マリア・モンテッソーリは、
“とにかくおとなは、ひっきりなしに監視や忠告、自分勝手な命令などで、幼な児の成長を見出し、妨げすぎます。このようにして、せっかく芽を出そうとしているすべての良い力を抑えつけてしまうのです。”
(『幼児と家庭』〈マリア・モンテッソーリ著 鷹觜達衛訳 エンデルレ書店〉 p50より)
と述べています。
トットちゃんは、このような素晴らしいママに育てられたからこそ、抑えつけられることなく、芽を出し、花を咲かせることができたのでしょう。
家庭の環境、特にママの影響は本当に大きいものがあります。
私の勉強会では、モンテッソーリ園に通わせることができないお母様たちも、モンテッソーリ教育を学び、肯定的な子どもの見方や、子どもの援け方を自分のものにすることによって、子どもの良き援助者となっていくのです。
◆次回は、第3回「リズム教育 自己肯定感 トモエ学園とモンテッソーリ驚きの共通点」(2022年2月12日公開)です。(リンクは、記事公開まで無効です)
田中 昌子
上智大学文学部卒。2女の母。日本航空株式会社勤務後、日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成通信教育講座卒。同研究所認定資格取得。東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター卒。国際モンテッソーリ教師ディプロマ取得。2003年よりIT勉強会「てんしのおうち」主宰。著書に『モンテッソーリで解決! 子育ての悩みに今すぐ役立つQ&A68』(講談社)、モンテッソーリ教育の第一人者、相良敦子氏との共著に『お母さんの工夫モンテッソーリ教育を手がかりとして』(文藝春秋)など多数。
上智大学文学部卒。2女の母。日本航空株式会社勤務後、日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成通信教育講座卒。同研究所認定資格取得。東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター卒。国際モンテッソーリ教師ディプロマ取得。2003年よりIT勉強会「てんしのおうち」主宰。著書に『モンテッソーリで解決! 子育ての悩みに今すぐ役立つQ&A68』(講談社)、モンテッソーリ教育の第一人者、相良敦子氏との共著に『お母さんの工夫モンテッソーリ教育を手がかりとして』(文藝春秋)など多数。