【WEBげんき新連載】わたしが子どもだったころ
もちろん著名人になったのは、生まれ持った才能があるから。しかし、育つ環境が子どもの才能に大きな影響を与えることも事実です。
連載「わたしが子どもだったころ」では、著名人が親御さんにかけられた言葉や、忘れられない思い出を伺い、その人となりを紐解いていきます。
第3回目はNHK Eテレ「おかあさんといっしょ」で14年間、体操のお兄さんをつとめた小林よしひささん。現在はタレント活動のみならず、大学の授業で教鞭をとるなど、指導者としても活躍しています。
「愚痴をこぼさない働き者の両親に育てられました」
父は、男の子がうまれたことを喜んでくれたみたいです。平日は仕事で帰宅が遅かったのですが、休みの日は車でアスレチックのある公園によく連れていってもらいました。一度も怒ったのを見たことがないくらい、父は温厚で物静かな性格。私の性格は父によく似ていると、母には言われます。そんな2人なので、遊びに出かけている車中の会話も、ポツポツとしゃべる程度。でもアスレチックにつくと、途端に父は頼もしくなって、その後ろ姿を追いかけて私も挑戦していました。
両親は共働きで忙しく、年に一度、家事を分担する会議が家族で開かれていました。私は風呂掃除と雨戸閉めの担当になることが多く、やりたくないと反抗しては母から怒られていました。そんな私でも、唯一楽しかった手伝いが料理です。夕方に母から電話があって「ご飯を炊いておいて」「野菜を切っておいて」と指示が入ります。食材の下ごしらえをしておけば、帰宅した母が手際よく仕上げてくれて。母と横に並んで、一緒に料理をつくることもありました。
母は料理をつくることが好きで、仕事が忙しくても、食卓には毎日たくさんの品数が並びました。子どものころの家族の思い出といえば、どこかに出かけたことよりも、みんなで食卓を囲んでいる風景が目に浮かびます。父も母もよく働く人でしたが、仕事の愚痴を聞いたことは一度もありませんでした。
「私の人生を変えたのは唐突に親に見せられたあの人の映画」
小学3年生のある夜、いつもなら布団に入らなければいけない時間。母に呼ばれて「今からテレビでやる映画を観たほうがいい」と言われました。生活面には厳しい母でしたから、最初は「何を言っているんだろう」と思いましたが、映画がはじまると私の目は釘付けになりました。それがジャッキー・チェン主演の『スパルタンX』です。
1984年の香港映画で、ジャッキー・チェンがスペインのバルセロナで大暴れするアクション映画。肉弾戦がかっこいいだけでなく、ジャッキーのおもしろい表情や動きにもハマってしまって。映画をみた次の日から私の遊びは「ジャッキーごっこ」になりました。
体を動かすことは大好きでしたが、それまで不思議とスポーツをしてこなかったんです。でも、ジャッキーの映画を観てからは、体を鍛えたいと思うようになったし、体操教室にも通うことになりました。「おかあさんといっしょ」の番組でやってきたおもしろい動きや表情は、ジャッキー映画が大きく影響していると思います。私の素質を見抜き、映画を見せてくれた母には頭が上がりません。