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【大人気連載復活】わたしが子どもだったころSeason2:Vol1.本上まなみさん (2/3) 1ページ目に戻る
2025.10.31
ライター:山本 奈緒子
釣り、わらび穫り…、正直子どもには面白くなかった(笑)
ただ、釣りのときはよくカップラーメンを買っていって、海を見ながら食べていたんです。普段、カップラーメンを食べさせてもらえることがなかったので、その時間だけは特別な感じがして大好きでした。
一方の母は、私たち姉妹を連れてあちこち遊びに行くのが好きな人でした。でもそれが、わらび穫りとかなんです。子どもにはまったく面白くない遊びですよね。「このかごいっぱいにわらびを穫ってきなさい」と、私たちは山の斜面に放たれて。ズリズリ滑りそうになりながら、必死でわらびを収穫したりしていましたね。
 
                それが嫌だったということは全くなくて。何というか、いい意味で大人の完璧すぎない姿を見せてもらっていたと思います。私の親はそんな感じでしたから、勉強も強いられたことがなくて。一応「やりなさい」とは言うんですけど、言うだけ。厳しく管理したりするようなところは一切ありませんでしたね。程よい放任主義だったので、今振り返ると、自主性を育ててもらえたんじゃないかと思います。
ずっと葛藤しながら続けていた芸能界のお仕事
 
                ただ私は、人との出会いに恵まれていたと思います。そんなふうに何のスキルもない私に、モデル、俳優、トーク番組など、皆さん、途切れることなくお仕事を振ってくださって。本当に奇跡だと思っています。
その後、私は、大好きな文章を書くお仕事もさせていただくようになりました。これも、自分を表現するのが下手な私を見かねて、編集者の方が「本上さんは読書が好きだし、文章でなら表現できるんじゃない?」と、雑誌で連載する場を設けてくれたんです。その連載をまとめた、初めての自分の本が出版されたのが24歳のころ。それから四半世紀。その後も何冊もエッセイ本を出版させていただくことができて、今でも「なんで自分はこんなにラッキーなんだろう」という思いでいっぱいです。








 
               
               
               
               
               
               
               
               
               
               
               
              



























































































 
                 
                