千原せいじ「子育ては自分のイヤな面に直面することが多かった」

【WEBげんき連載】わたしが子どもだったころ 最終回 #13千原せいじ

編集者・ライター:木下 千寿

【WEBげんき連載】わたしが子どもだったころ

「あの人は、子どものころ、どんな子どもだったんだろう」
「この人の親って、どんな人なんだろう」
「この人は、どんなふうに育ってきたんだろう」

今現在、活躍する著名人たちの、自身の幼少期~子ども時代の思い出や、子ども時代に印象に残っていること、そして、幼少期に「育児された側」として親へはどんな思いを持っていたのか、ひとかどの人物の親とは、いったいどんな存在なのか……。

そんな著名人の子ども時代や、親との関わり方、育ち方などを思い出とともにインタビューする連載です。

今回は、実の兄弟でコンビを組んでいるお笑い芸人「千原兄弟」の兄、千原せいじさんです。

気になることを考え続けた子ども時代

撮影/岩田えり(以下同)
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子ども時代の僕は、今とさほど変わらへん感じやと思います。友達はわりと多くて、外で遊んでいることのほうが多かったかな。僕らのときは今みたいに遊びの選択肢も多くなかったからやることは限られていましたけど、相撲以外の遊びはだいたい好きでしたよ。携帯型液晶ゲーム機で遊ぶときも、なぜか外やったな(笑)。みんなで公園とかに集まっていました。あのころは子どもが多くて、子ども同士でお互いの家の行き来もようしていたんですよね。部屋でマンガを読んだり、プラモデルを作ったりするときも、誰かが自分の家におるか、友達の家に行くか。高校まではずっと、誰かが家に呼びに来て一緒に学校へ行く、みたいな感じで、いつも仲のええ友達2~3人で登校していました。

僕と親との関係は、正直なところ、子どものときからあまりうまくいっていませんでした。僕が、親のことをあまり好きじゃなくてね。両親が戦争前後の混乱期に生まれてきちんとした教育を受けていなかったこともあってか、「言うことを聞かへんから」と暗室に閉じ込められたり、ときにはひどいことをされたりと、今から考えるとかなり無茶苦茶な育てられ方やったんです。そんな環境に対してずっと「何かちゃうな。何かおかしない?」と違和感を持ち、「どういうことや?」と考え続けていました。だから気になることについて“考える”能力が身についたんやと思っています。

子どものころから感情のコントロールがヘタクソなほうでした

とくに母親に関しては、感情的に攻撃してくるのが本当にイヤでした。自分の機嫌が悪いとかで、当たられるんです。また僕ら子どもの前で、僕らの友達の家族について「あの子のお父さんはどうのこうの」とあれこれ悪口を言うのも、子ども心に気色悪かったですね。子どもにとって親は“絶対正義”なので、親の発言はたとえ悪口であっても、子どもにとっては“正しいこと”になってしまうんですよ。僕はその危うさに気づくのに少し時間がかかってしまったので、そういう点ですごく損しているなと思います。

本(『無神経の達人』)にも書きましたが、僕は子どものころから感情のコントロールがヘタクソなほうでした。それはやっぱり、おかんの影響もあると思います。嫁はんと話していてちょっと頭に血が上ったときなんか、「お義母さんにそっくりやな」と言われることがあって、「血っちゅうのはなかなか拭い去れんものがあるんやな」と感じますよ。「これを言ったら、相手を傷つけてしまう」と思い至る前に言うてまう。言わんでええことを口にしてしまう。そうした後は相手に対して申し訳ないことをしたと思うし、それがきっかけで疎遠になってしまった人もいます。「せいじはああいう性格やから」と理解してくれる人もいますけど……。
そんなふうに家庭内でいろいろなトラブルがあったからこそ、きょうだい仲はよかったです。ジュニア(弟)は揉め事にわりと鈍感なタイプでしたが、僕と妹は当時から感じ取るものが多くて、困ったことが起きたときは相談して一緒に対応策を考えるなど、結束は強かったですね。僕が長男でしたけど、“長男やから”“お兄ちゃんやから”という意識はとくにありませんでした。そういえば小学生のころ、飼っていた犬の散歩は「お兄ちゃんやから」と僕が行っていたんですよ。「俺が犬の散歩に行かなくてよくなるのはいつやろ?」と思っていたら、ジュニアが小学校に上がってからも、親が「お前はお兄ちゃんやから」の一点張りで、散歩はずっと僕の担当でした。僕が“兄”ということに固執した親の考え方を、内心「アホやな」と思っていました。

本を読むことを逃げ場にしていました

親元で生活してきて、金銭的な面で苦労したということはないんですけど、メンタル面では「ヘンなこと言うなぁ」と釈然としない想いをたくさん抱えてきました。自分からすると納得のいかないことばかり、頭ごなしに言われる。「お父さんの言うことを聞きなさい!」と言われても、「なんやそれ。俺の人生、あんたが責任取れるんか!?」と思っていました。そんな親とコミュニケーションを取るのがイヤやったから、僕は読書を逃げ場にしていました。親と一緒におるよりも、本を読んでいるほうが好きやったんです。

本と言えば、小学校6年生の誕生日におかんから「誕生日プレゼント、何が欲しいねん?」と聞かれたので、「江戸川乱歩全集が欲しいなぁ」と言うたら、おかんが急に「このませガキが!」と怒り出したんです。「何やろ?」と思っていたのですが、大人になって気づきました。当時テレビで、江戸川乱歩のダークな作品をもとにしたお色気系の2時間ドラマをやっていたんです。母親は江戸川乱歩を知らないから、「江戸川乱歩というのは、そんな作品しか書いていない」と思い込んで僕を怒ったわけです。「知らない」というのは、本当に罪やなと思いました。
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