地震に備えたい 311のとき東京で小さな子がいた親たちの行動とは 

小さな子がいるといざというときに身動きがとりづらい。準備しておくべきことを聞きました。

ライター:山本 奈緒子

『水のローリングストックを確実にしました』 芦屋聖子さん(40歳)

ミルクを作るためには安全な水が必要
私は震災が起こった1週間後に、夫の実家がある鹿児島に避難をしました。理由は、水が手に入らなかったから。

当時私は育休中で、生後1ヵ月の娘と、都内にある母の家で暮らしていました。地震が起きたときはちょうど授乳中で、「うわあ!」とおっぱい丸出しのまま娘を抱えて机の下にもぐったのを覚えています。

あのときは本当に、このままみんな下敷きになって死んじゃうんじゃないかと恐怖でいっぱいでした。
幸いみんな無事で、母の自宅も大きな被害はなかったので一安心だったのですが、すぐにミルク問題が沸き起こりました。

福島の原発事故で東京の水も放射線濃度が上がり、赤ん坊にはペットボトルの水で作ったミルクをあげたほうがいいという情報が流れて。それで東京都は、各自治体が赤ん坊がいる家庭にペットボトルの水を配っていました。

ところが私は当時、里帰り出産で一時的に母の実家に滞在していたので、住民票が東京になかったんです。そのため水をもらうことができず。

単純に水が手に入らないという事情と、「紙切れ一枚で杓子定規に赤ちゃんを見捨てる都市なんて……」という絶望感もあって、鹿児島に一時的に避難することを決意した次第です。

今考えると、住民票がないので水をもらえなかったのは仕方のないことですが、当時は本当に切迫していたので、異常なまでに絶望してしまったんですよね。
鹿児島行きの飛行機は、私のように赤ん坊を抱えた母親だらけでした。

あのときは原発もどうなるか分からなかったので、もしかしたらもう東京に戻ってくることはできないんじゃないかという思いもあって、悲痛な気持ちで旅立ったのを覚えていますね。

ただ鹿児島に行った後は、義理の両親の家が山の中の小さな集落にあったこともあって、「赤ん坊なんて珍しい」「都会から来て大変だろう」と、義父母も近所の人たちも手作り野菜でもてなしてくれて。居心地が良くて1ヵ月ぐらいの避難のつもりが3ヵ月も滞在してしまいました。今も本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
水のローリングストックの必要性
その後、世の中が落ち着いてきたのと、申し込んでいた社宅に空きが出て引っ越し作業をしなければならなくなったので、東京に戻ることを決めました。

そして戻って私がまず一番にやったことが、ウォーターサーバーの設置の契約です。この契約をしていれば、安全な水を定期的に補給してくれますし、仮に停電になっても常温での保管・使用も可能。水が入ったボトルのサイズはメーカーによっていろいろありますが、私が契約した約12L程度のボトルなら、3本ストックしておけば3人家族の場合、約20~30日はもつんです。

昨今はコロナウイルスが蔓延しているように、今後も地震に限らず、予想もつかない災害は起こるかもしれません。それでも安全な水さえあれば、当座は何とかしのげるだろう、という安心感はあります。

ウォーターサーバーだけでなく、ペットボトル水も、常にまとまって置いておくようにしていますし、水道水をタンクに溜めて屋外にストックもしています。年月が経っていろいろ気が緩んでしまっているところはあり、良くないなあとは思いますが、水のローリングストックは常態化していきたいと思っています。
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