夏休み自由研究の「伴走」という苦行
息子が小1のころに始まった夏休みの自由研究の「伴走」。手伝いすぎて「親の自由研究になってしまう」と周囲から言われることが多かったので、私はそうはならないぞ! と心に決めて挑みました。
私たちの住む自治体の学校では自由研究は「科学研究」として扱われています。必須の提出物が決められていて、実験や観察の経緯を記録した「野帳(やちょう)」、研究内容をまとめた「主論文」、指定された7つの構成要素に沿ってまとめた「模造紙」を提出する必要がありました。主論文はパソコンで作成・印刷したものでも問題ありませんでした。
低学年の子どもが手書きするには量が多すぎたため、「息子の話した内容をそのまま親がタイピングする」という口頭筆記の形をとりました。
親はあくまでサポート役。テーマに関しては子どもの興味・関心を尊重したいので、子どもに決めさせます。しかし子どもから出てくるテーマはとんちんかんなものばかり。自分の力量を考慮しない難易度の高いテーマだったり、夏休みの1ヵ月半では終わるはずのないテーマだったり……。
結局、子どもが興味を持ちそうなテーマをいくつか親から提案します。「プライドを傷つけないように」「理科嫌いにならないように」と最大限気を遣いながら、なんとか実現可能なテーマへ軌道修正を試みました。子どもが「押し付けられた」と思うことのないよう、選択肢を複数提案することも忘れません。気を遣いすぎて、自由研究のスタート地点に立つ前からすでに母はぐったり……。
ようやくテーマが決まったら、次は「どうやって調べるか」を考えてもらいます。ところがここでも驚きの方法が飛び出してきてびっくり。「小学生にできるレベルの研究?」「夏休み中に始めて終わるの?」などツッコミどころが満載の方法ばかりです。
今思えば、それさえも子どもらしさのひとつなのだと、面白がって受け止めればよかったのかもしれません。でも当時の私は、親として「ちゃんと提出できる形にしなければ!」という気持ちが強く、「まじめに考えなよ」とイライラが募っていました。
▼子どもの自由研究が絵本になった「科学の芽えほん」シリーズ▼

夏休みの開始と同時に自由研究もスタート。ところが、計算ドリルや漢字ドリルのように「ここまでやれば終わり」というゴールが見えないせいか、息子はなかなか取りかかろうとしません。
最初のうちは、「今日は観察した?」「自由研究は大丈夫?」と声をかける程度でした。しかし、のらりくらりとかわされるうちに、私の声かけもだんだん強くなっていきます。
「観察しないなら、もう自由研究やめなよ!」
「もともとあなたがやりたいって言ったんだよね? お母さんが頼んだわけじゃないんだけど!」
𠮟られた息子は「やめたくない!」と泣きながら、ようやく自由研究に取りかかります。始めてみれば、本人は楽しそうです。野帳に記録したり、写真を撮ったりしながら、生き生きと取り組んでいました。私も「どうしてこうなるんだろうね?」など気づきを引き出そうとする声かけをしたり、一緒に観察して驚いたり、始めてしまえば楽しい時間がおとずれたこともありました。
しかしそれも束の間、またやらない日々。
「私の自由研究じゃないのに、なんで私がストレスを溜めないといけないの?」と思い、数日声かけをしなかったあとには、「お母さんが言ってくれなかったから」などと逆ギレされます。
こんな理不尽な毎日を繰り返しながら気づけば夏休みも終盤。模造紙にまとめなければいけない時期なのに動かない子ども。
「提出できずに痛い目をみて学べばいいんだ!」と突き放したい一方、「私もここまでやらせてきたのに」という余計なMOTTAINAI精神が出てきて、ついついやらせる方向に動いてしまいます。そんな自分のエゴにもウンザリ。家庭内治安は最悪の状態です。
模造紙に書く内容を決め、下書きをさせ、カラーペンでなぞり、写真の配置を決めて、貼る。低学年の子どもにとっては、書きなれない太いカラーペンで大きな模造紙に字を書くのも大変です。まとめて終わらせたい私と、「疲れた」とすぐ休む息子の攻防は、夏休み最終日の夜まで続きました。
こうして「自由研究の伴走は二度とやらないぞ!」と誓ったものの、科学研究展で受賞したり友達や先生からほめられたりしたことを聞くと、「1学年成長したし、今年こそは修羅場にならず自由研究を終わらせられるかもしれない」と思って、また伴走を開始してしまいます。
気づけば息子が小5になるまで自由研究は続きました。小6は中学受験のため自由研究への取り組みはなく、息子の自由研究伴走は終わりました。ちなみに息子が小4のときに娘が入学。「兄と共同テーマはイヤ」というので、別々の研究テーマになり、苦労も2倍。修羅場も2倍でした。

































