ムーミン谷のしあわせレシピ「ムーミンパパ流ヤンソンさんの誘惑」
「みんなおたがいに、人のことは心配しないことにしているのです。こうすれば、だれだって気がとがめないし、ありったけの自由がえられますからね」
2024.06.21
翻訳家:末延 弘子
ムーミン谷に住む、さまざまな登場人物たちにちなんだお料理を紹介する『ムーミン谷のしあわせレシピ』。その翻訳者末延弘子さんが、フィンランドで過ごした日々の思い出と共に、本の中からとっておきのレシピをご紹介します。作るときはフィンランド人のように、細かいことは気にせずに自分らしく挑戦することが大切だそうですよ。
「松林をつきぬけて桟橋に出たら車をとめて、係留しておいたモーターボートに画材道具を持って乗りこむの。荷物が多いときには何度も往復するのよ」
画家である友人が島のアトリエで夏至を一緒に過ごそうと誘ってくれた。彼女のアトリエはクスタヴィという島にある。数千島からなる群島のひとつで、1784年にスウェーデンのグスタフ3世の命によって、ストックホルムとトゥルクを連絡する郵便道と、グスタフ3世の通行の確保のために開通された海路だ。トゥルクはフィンランド第3の都市で、1819年にロシアのアレクサンドル1世によって首都がヘルシンキへ移るまで、およそ600年にわたって都として栄えていた。地理的にも歴史的にもスウェーデンの影響を受けており、スウェーデン語系フィンランド人が多く住んでいる。
このトゥルクから69キロ西にある島がクスタヴィだ。島民人口は1000人にも満たないが、夏になるとサマーコテージで休暇を過ごす人たちでぐんと膨れあがる。友人のサマーコテージは氷河期時代の岩盤に建てられていた。レンガ色の2階建てで、その内壁はピンクに塗られている。群青色の窓枠は海を思わせた。採光窓は天井まで届いており、どの部屋も光であふれていた。
アトリエは離れにあった。松林で陰になりそうなのに、アトリエの白壁がわずかな光も逃さず吸いこんで、かすかな輪郭線さえも浮かびあがらせていた。年代物のプレス機の金属と塗料の混じった匂い、白木の新鮮な香りが幻想的に溶けあう。ベランダからは、雲の陰影を映しだすストローミ海峡や、岩肌に生えた小ぶりの松の風景が見えた。
氷河期の岩盤は何百年もの歳月を経て波に削られたせいか、丸くて絹のように艶やかだった。どれひとつとしておなじかたちの岩はない。太古の昔に、なにかしらの大きな手によってつくられたように感じた。岩の上に寝そべると、太陽の匂いがした。土壌がきわめて乏しい岩盤に根を張る松の幹は、両てのひらで包めるほど細いのに、ぎっしりと密に年輪を重ねていた。水を求めて岩肌に根を張り、曲芸師のようにくねったり、尺とり虫のようにしなやかに輪を描いたり、一本一本が個性的で独創的だった。水は澄んでおり、まるで光の破片が散っているようにみえる。海の底には海藻の森が広がっているのだろう、黒くゆらゆら揺れていた。
友人一家は幼少時代から夏をこの島で過ごしてきた。彼女の作品に、海のある風景や神秘的な森や動植物をモチーフにしたものが多いのはそのためだろう。木々の繊維一本一本、葉の葉脈一筋一筋を、卓越した観察眼で植物標本のように描いている。彼女の絵を見ていると、原始の記憶が呼びさまされるようだった。
1段下がった岩盤につくられたサウナ小屋は、脱衣所と浴室とサウナ室があり、開放的なベランダもある本格的なものだった。薪を焚いて小屋を暖め、その熱で石を熱くする。焼け石は水をかけられるとジュワッと白い蒸気を吐く。蒸気はすぐさま肌にまとわりついた。サウナベンチは緩やかなカーブを描いており、腰かけるだけではなく横にもなれるようになっていた。友人とその娘さんと私の3人はベンチに寝そべって、サウナストーブのジンジンという音に耳を澄ました。汗がじんわりとにじみでる。いよいよ耐えきれなくなると、私たちは一糸まとわず海へ滑りこんだ。
サウナからあがって灯台を眺めた。この灯台を目印にストローミ海峡をぬけてボートで外海に出ると、蓋のようにうっすら浮かぶ島が見える。フィンランド自治領オーランド諸島だ。この海峡を往き来する船は少なくない。ここは有数の漁獲水域で、バルトニシンやトラウトサーモンやパーチといった魚が獲れる。友人はたまに漁船に直接電話して、獲ったばかりの新鮮な魚をコテージの桟橋まで運んでもらうらしい。その日はあいにく不漁だったため、缶詰のアンチョビを使ってグラタンをつくってくれた。材料を切ってグラタン皿に入れてオーブンで焼くだけの、ごくシンプルな料理。アンチョビの塩味とクリームの染みこんだじゃがいものおいしさに、至福のため息がもれた。
腹ごなしに娘さんと夏至の花を摘みに出かけた。フィンランドには夏至の夢占いがある。7種類の花をだれとも言葉を交わさずに摘んで自分の枕の下において眠ると、夢のなかで未来の夫に会えると信じられている(スノークのおじょうさんとフィリフヨンカは9種類の花を摘んでいた)。青いワスレナグサ、紫のフウロソウ、黄色いリュウキンカが淡く澄んだ魔法の光を浴びている。私たちはひと言もしゃべらずに秘密の花束をつくった。あくる日の朝、私は娘さんにそっと尋ねてみた。見えた?と私。それとなく、と娘さん。おたがいに顔を見あわせ、わかったようにはにかんだ。
☆
じゃがいもは輪切りにしました(ムーミンパパ流は千切り)。パン粉はかけずに、タイムをふりました。あつあつをお召し上がりください!
JANSSONINKIUSAUS MUUMIPAPAN TAPAAN
ムーミンパパ流ヤンソンさんの誘惑
材料
じゃがいも……約1kg
玉ねぎ……2個
バター……大さじ3
アンチョビフィレ……200g
クリーム……300cc
乾燥したパンくずもしくはパン粉……大さじ3
作り方
1.じゃがいもの皮をむいて、千切りにする。玉ねぎも皮をむいて薄切りにする。
2.バターを塗ったオーブン皿に、1とアンチョビフィレを重ねていく。いちばん上にじゃがいもを敷いて、表面を軽くならす。
3.アンチョビフィレの漬け汁とクリームを混ぜて、2にひたひたに注ぐ。クリームソースが足りないようだったら、牛乳を少し足す。
4.パンくずかパン粉を最後にふりかける。さらにちぎったバターをいくつかのせる。200℃のオーブンで、じゃがいもがやわらかくなってクリームが煮詰まるまで、たっぷり1時間焼く。表面が焦げるようなら、オーブンシートかアルミホイルをかぶせて、温度を少し下げる。
末延 弘子
東海大学文学部北欧文学科卒業。フィンランド国立タンペレ大学フィンランド文学専攻修士課程修了。白百合女子大学非常勤講師。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』『ムーミン谷のしあわせレシピ』など、フィンランド現代文学、児童書の訳書多数。2007年度フィンランド政府外国人翻訳家賞受賞。
東海大学文学部北欧文学科卒業。フィンランド国立タンペレ大学フィンランド文学専攻修士課程修了。白百合女子大学非常勤講師。『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』『ムーミン谷のしあわせレシピ』など、フィンランド現代文学、児童書の訳書多数。2007年度フィンランド政府外国人翻訳家賞受賞。