米津真浩「月謝が払えなかった僕がプロピアニストになれたワケ」

ピアニスト米津真浩さん「私の“音育”」#1 ~育った環境編~

米津さんがピアノに興味を持ったのは幼稚園のとき。先生がピアノを弾いているのを目にして「自分も弾きたい!」と思ったそうで、両親にその気持ちを伝え、ピアノ教室に通うことになりました。

「なぜかはわからないのですが、昔から音には敏感だったようです。蕎麦屋さんとかでよく、琴の音色が流れていますよね? 母によると、それを聴くと悲しくなって泣き出してしまう子どもで、BGMを変えてもらったこともあるそうです。子どもじゃなければクレーマーですよね(笑)。

うちは音楽一家というわけではないですし、家で日常的に音楽が流れているようなこともありませんでした。でも、ピアノをやりたいと言ったらわりとすんなり教室に通わせてくれました。おそらく、両親は長続きすると思わず『とりあえずやらせてみるか』くらいの軽いノリだったと思います(笑)。それでも否定せずやらせてくれたのはありがたかったですね。

親の予想に反してピアノが続いたのは、単純に楽しかったから。自分にとってピアノはワクワクできる『遊び』で、ほかの子たちがテレビゲームに夢中になるのと同じような感覚だったと思います」

こうしてピアノ教室に通うことになった米津さん。最初は全国展開する大手ピアノ教室に通いますが、すぐに辞めてしまいました。当時3歳くらいだったこともあり、音楽に合わせて手を叩くといったリトミック(音楽とふれあいながら基礎的な能力を伸ばす教育)の時間が多く、やりたかった「ピアノを弾く」機会が少なかったからです。このときも両親は、米津さんの「好き」を尊重して、鍵盤に触れることができる教室にすぐさま移らせてくれました。

ピアノ演奏には運動神経が必要

それほどまでにピアノに夢中になったものの、米津さんはガチガチのインドア系というわけではなく、小学校時代にバスケットボール、高校時代にダンスをするなど、体を動かすのも大好きでした。米津さんは、ピアノの演奏と運動神経は切り離せない関係だと言います。

「意外かもしれませんが、ピアニストは運動神経のいい人が多い気がします。だから学校の体育は大切だと思うし、個人的には小中学校で学ぶことすべてが、ピアニスト活動に役立っていると思います。

作曲された時代背景を読み取り再現するのがクラシック。そうすると歴史の知識が必要になりますよね? ピアノはテコの原理で音を出すので物理を知っていた方がいいし、アンサンブルで海外のピアニストと共演するなら語学が必要になる。

現代のピアノは、以前と比べて鍵盤が重くなっているので、力も必要になってくる。そう考えると、自分がこれまで学んできたすべてのことが大切に思えてきて。クラシックを広める活動の一環として、小学校へおじゃますることもあるのですが、学校の勉強がいろいろなところで役立っていることは子どもたちに伝えるようにしています」

また学校での学び以外に、人生のさまざまな経験が、ピアニストとしての表現力を高めてくれると米津さんは考えます。

「ピアノは曲によってテーマがあり、『楽しい』や『カッコイイ』『胸が締め付けられる』など、聴衆のいろんな感情に訴えかけます。そして曲には、ピアニストのそれまでの経験が表れます。だから、楽しいことでもつらいことでもきっと肥やしになる。例えば僕は、小さい頃に父を亡くしています。いい経験だとは思わないけど、それも僕の音色をかたちづくる要素のひとつになっているはず。そう考えれば、多くのことを前向きに捉えられますよね」

「ピアノを弾いていて骨折したことがあります(笑)。実はそれくらいハードなんです」(米津さん)。  写真:日下部真紀

学校で学んだことや父親の死、そのすべてが自身のピアノ表現に活きていると言うように、米津さんの口からは、これまでの人生経験を前向きに捉える発言が多く飛び出します。では、米津さんはどんな環境で育ったのかというと、実際は誰もがうらやむような環境というわけではありませんでした。特に経済的には、かなりの苦労があったといいます。

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